ドヴォルザーク アメリカ 解説

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96《アメリカ》弦楽六重奏曲イ長調作品48スメタナ四重奏団ヨゼフ・スーク(第1ヴィオラ)ヨゼフ・フッフロ(第1チェロ)普段、Symを好んで聞いている私にとって、弦楽四重奏、六重奏のよさがあまりわからず、とにかく眠い! たくさんの元気をくれるドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」ですが、こんなドヴォルザークのお話しを含む解説があります。   この解説にあるように1892年から、ドヴォルザークはナショナル音楽院の院長をつとめます。このとても自由な校風で、ドヴォルザークも、積極的に黒人学生たちと交流をもっていたそうです。そんな毎日の中、彼らの心の歌ともいえる黒人霊歌と出会います。霊歌とは、アフリカの原住民が、アメリカ大陸に奴隷として強制的に連れてこられて、苦役をこなす毎日の中で培われた、宗教性をおびた歌のことです。そのように感じ取ったドヴォルザークはこの共通した精神性、あるいは音階の類似性をこの「交響曲第9番『新世界より』」に盛り込みます。また、この「交響曲第9番『新世界より』」は、ドヴォルザークが「新世界(アメリカ)から、ふる里のチェコに向けて送った手紙」と解説にありますが、「まさにその通り」と言えますね。そして、とくにそんな思いを感じるドヴォルザーク「交響曲第9番『新世界より』」。現代、あらためて聴き直すと、それでは、勇気りんりんの1曲、ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」の各楽章について解説したいと思います。この曲は第1楽章から第4楽章までの4曲で成り立っています。弦楽器と木管楽器がメインの静かなメロディです。すると、いきなり勇ましくも、力強い雷が落ちるがごとき音楽が展開していきます。それは、まさしく他の3曲とは全くちがったイメージの癒やしと安らぎの曲としてして仕上げられていますね。解説にも書きましたが、ドヴォルザークの故郷チェコの民謡とアメリカの黒人霊歌に宿る精神性とが共通していると、ドヴォルザークが感じながら作曲した1曲ですね。コールアングレ(オーボエという管楽器より低い音)で歌われる有名なメロディが印象的です。このメロディは、後にウィリアム・アームズ・フィッシャーがスピード感あふれ、その「筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした体からは明らかに、はち切れんばかりのエネルギーがもれ出し、発散されています。「アメリカの大地に響く、巨人の大きな足音と地響き」ともとれそうです。まるで、映画「ジョーズ」を思わせるようなメロディで始まります。その後、ホルンとトランペットで勇壮に歌われるドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」で最も有名なフレーズが現れます。「機関車が大好き!」そんなアルパカは地面を走る電車をながめるのが好きなのです。(鉄橋の上の電車は「音」の臨場感、あるいは体感に欠ける…かな)そして、ドヴォルザークはというと、機関車が大好きなのです。ドヴォルザークは機関車の知識や時刻表、駅名などを熟知していたとのことですが、それと同時に機関車の音を聴く(聞く)ことも大好きだったことでしょう。そんなドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」の、現代の鉄オタ(鉄道愛好家)の方も舌を巻くらいに鉄道(機関車)のことに精通していた言わば「鉄オタの元祖」と言っても差し支えないドヴォルザーク。そういうことなら、こんな風をきりながら、堂々と疾駆(しっく)する機関車のごとき演奏はピッタリだと言えます。しかも、第2楽章の演奏スピードは、おそらく、市場に出回っているどのアルバムよりも遅いと思われます。通常12分から13分くらいの曲ですが、このバーンスタインとイスラエルフィルハーモニー管弦楽団のものは、18分かけて演奏していますので、控えめに言っても、「遅い方の部類には入る」はずです。しかも、その他の3曲が、第2楽章とは打って変わっての駆け抜けるようなスピードの堂々とした演奏に激変します。それがしかし、残念ながら、アルパカはこのCDアルバムは持っていないのです(泣)でも、(*゚▽゚)ノ、つまり、指揮者ノイマンとチェコフィルハーモニー管弦楽団、そして作曲者ドヴォルザークとの一体感ですね!そしてさらに、熱気あふれるライブ録音!まさしくこのドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」の超デフォルト(定番)の演奏!買うアルバムに迷ったらコレ一択っすね!!さて、ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」、名盤の紹介と解説はいかがでしたか?毎日、こんなことばかりのアルパカです。ま、悩みは大小、いろいろありますよね。そんな時は陰陰鬱々(いんいんうつうつ)と落ち込み、数日間、また場合によっては何ヶ月も立ち直れないものです。でも、そんなつらい日々の中、ほんの少しでも、気持ちが上向いて来た時に聴くと、元気が出る音楽もあるものです。今回は、そんな音楽の1曲、ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」を紹介させていただきました。そんなわけで…   関連記事↓↓こんな有名な曲もいかが?   目次ドヴォルザークが1893年に作曲した「交響曲第9番(新世界より)」は、彼のアメリカ時代を代表する作品です。その親しみやすさからドヴォルザークの代表曲にはとどまらず、クラシックを代表する曲として人気の高い曲でもあります。第1楽章の冒頭部分は、鉄道好きのドヴォルザークが鉄道の音をイメージして書いたと言われていることは有名ですね。ここではそんなドヴォルザーク「交響曲第9番(新世界より)」の解説と名盤を紹介したいと思います。第1楽章:Adagio-Allegro molto指揮:Sergiu Celibidache(セルジュ・チェリビダッケ/1912-1996)1892年にドヴォルザークはニューヨークの音楽院に院長として呼ばれ、そこで約3年間を過ごしました。ドヴォルザークがのこのアメリカでの3年間は、彼にとって重要な作品を生み出した時期でもありました。この作品のタイトルとなっている「新世界」とは「アメリカ」のことを指します。初演は1893年にカーネギーホールでおこなわれ大成功に終わり、それは交響曲としては考えられないほどの大盛況だったと言われています。「新世界より」はアメリカの風を感じるものの、構成自体は以前の交響曲にのっとっています。この交響曲が人気のある最も大きな理由は、クラシックの垣根を超えた美しいメロディが次々と溢れ出てくることにあると思います。ちなみにアメリカのインディアンやニグロの音楽から拝借したメロディーやリズム、ハーモニックを用いて「新世界より」は作曲されたと言われることもありますが、ドヴォルザーク自身はそれを否定しています。全部で45分程度の演奏時間で、4楽章で構成されています。弦楽器を中心とする序奏が奏でられ、一度盛り上がりをみせた後に、ホルンによる第1主題が流れます。音楽が落ちついたところで、黒人霊歌が思い起こされる柔らかな第2主題が、フルートとオーボエによって演奏されます。展開部・再現部を経て最後はトランペットが高らかに鳴り、力強く盛り上がったところで第1楽章は劇的に終わります。第2楽章では、日本人にも耳馴染みのあるイングリッシュホルンによる主部の主題が登場します。後半では第1楽章の第1主題の動機も奏でられます。ドヴォルザークは当時アメリカの詩人ロングフェローの叙事詩「ハイアワサの歌」をオペラ化を検討していました。ロングフェローは1800年代前半から後半にかけて活躍したアメリカの詩人で、この他に「ポール・リビアの騎行」(Paul Revere's Ride)、「人生讃歌」(A Psalm of Life)、「エヴァンジェリン」(Evangeline)などが代表作として知られています。「ハイアワサの歌」はインディアンの英雄を謳っており、三宅一郎さんによって1993年に日本語にも訳されています。第3楽章も「ハイアワサの歌」をイメージしており、ここでは先住民が踊る場面を表現したとドヴォルザーク自身が語っています。映画「ジョーズ」そっくりのフレーズで盛り上がりをみせた後に、ホルンとトランペットが有名な第1主題を奏でます。展開部では「遠き山に日は落ちて」のメロディが再び登場します。数多く残されている録音の中でも、このCDは間違いなく定番であり名盤である1枚です。ノリのいい大迫力の音楽というよりは、もっと奥深い何度聞いても飽きない名演が楽しめます。クラシック音楽「名曲」の解説と名盤(Musica Classica) All Rights Reserved. 作曲家別名曲解説ライブラリー6「ドヴォルザーク」(1994年 音楽之友社) 解説にも書きましたが、ドヴォルザークの故郷チェコの民謡とアメリカの黒人霊歌に宿る精神性とが共通していると、ドヴォルザークが感じながら作曲した1曲ですね。 ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番ヘ長調 作品96, B.179 『アメリカ』は、1893年に作曲された弦楽四重奏曲。ドヴォルザークがアメリカ滞在中に作曲した作品で、彼の室内楽作品中最も親しまれている作品のひとつである。 スポンサーリンク『クラシック音楽を聴いてこころ、幸福』そんな毎日を、ただ、たんたんと、そして、てくてくと歩いてきました。↓詳しい自己紹介はこちらです↓引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 第1楽章:Adagio-Allegro molto第2楽章:Largo第3楽章:Scherzo. 今回はドヴォルザークの名曲について、彼の生涯や逸話とあわせてご紹介いたします。ドヴォルザークは、交響曲第9番『新世界より』などを作曲したチェコの作曲家です『新世界』や弦楽四重奏『アメリカ』などに代表されるように、民俗的なフレーズを持つ音楽が多いのが特徴的です。アイキャッチ画像出典:出典:ドヴォルザークは、交響曲第9番『新世界より』などを作曲したチェコの作曲家です。時代的には、後期ロマン派の作曲家です。『新世界』や弦楽四重奏『アメリカ』などに代表されるように、民俗的なフレーズを持つ音楽が多いのが特徴的です。出典:ドヴォルザークは北ボヘミアの肉屋の息子として生まれました。父親はその経営の傍ら、弦楽器の演奏をしたり時には作曲をしたりする人物で、ドヴォルザークに幼少から音楽を勉強させていました。しかしながら、父親は肉屋を長男であるドヴォルザークに継がせる気であったため、肉屋の修行に行かせました。そこで出会ったのが職業専門学校の校長でしたが、彼は教会のオルガニストなどを務める音楽家でもあり、ドヴォルザークの才能に目をつけ、楽器演奏や音楽理論について教えました。出典:周りからの推薦もあり、その後ドヴォルザークは音楽学校に進学しますが、家庭状況の悪化により経済状態は苦しかったようです。両親は肉屋の手伝いをさせようとしましたが、それに対して校長であったリーマンと伯父が反対をして、彼の経済状況を支えました。出典:青年期のドヴォルザークはワーグナーに多分に影響を受けていました。ワーグナーの作品に対して影響を受け、作曲した作品が数多くあります。しかしながら、ドヴォルザークがその名声を確固たるものとしていく中で、ワーグナーの手法から次第に離れて行きました。1878年になるドヴォルザークはブラームスと出会い、彼の『ハンガリー舞曲』に影響を受け『スラブ舞曲』を作曲するなど、ブラームスとの信仰が深くなって行きます。出典:この頃、ドヴォルザークはチェコにおける民族主義的な音楽家としての地位を確固たるものとしており、その名声を聞きつけたサーバー夫人がアメリカにおける民族主義的な音楽を確立してほしいとの願いから、ドヴォルザークを招聘しました。このような中でドヴォルザークは交響曲第9番『新世界より』を作曲することとなります。出典:ドヴォルザークは帰国後、様々な名誉を得ました。ウィーン学友協会は名誉会員に推薦し、ウィーン音楽省はプラハ音楽院への援助を増やすことでドヴォルザークの給料をあげることを要求しました。さらには芸術科学名誉勲章までも与えられます。そのような中、晩年まで多忙な毎日を送り、彼は1904年に息を引き取ります。アントニン・ドヴォルザーク作曲、弦楽四重奏曲第12番作品96「アメリカ」。ドヴォルザークといえば交響曲第9番「新世界より」ですが、この曲にも「新世界」と同じように民謡風のフレーズがいたるところに散りばめられています。最初のヴィオラによるフレーズなどはまさにそれですね。なんとなく、懐かしい響きが感じられます。明るく温かく優しい曲となっています。4つのロマンティックな小品は、ヴァイオリンとピアノのための組曲です。この曲は、弦楽三重奏のための『ミニチュアール』からの改作です。ヴィオラ奏者であったドヴォルザークはこれを友人のアマチュア奏者二人と演奏するために作曲し、かなり楽しんで作曲しましたが、作曲後すぐにこの編曲版に取りかかったようです。ドヴォルザークによるピアノ五重奏曲第2番は1887年に作曲されたものです。ドヴォルザークが作曲家として円熟期にあった時期に作曲されたものであり、すでにスラブ民族的な音楽家としての名を確立していました。このピアノ五重奏にもその色は垣間見ることができ、第二楽章には「ドゥムカ」、第三楽章には「フリアント」という名前がつけられていますが、この名称はウクライナの民族舞曲からつけられています。ドヴォルザークはピアノ五重奏を第1番、第2番のに曲を作曲していますが、ドヴォルザークのピアノ五重奏といえば、この第二番を一般的には指します。ドヴォルザークの作曲した曲で最も有名と言えるのがこの交響曲第9番『新世界より』でしょう。交響曲第8番はかつては『イギリス』という副題で呼ばれることが多かったようです。それは、普段から出版する契約を結んでいた出版社で楽譜を出版せずに、イギリスの出版社で出版をしたという理由からです。しかしながら、音楽の内容は、ドヴォルザークの故郷であるチェコの民族音楽の影響を多分に受けていることから、その愛称で呼ばれることは少なくなりました。特に第四楽章はボヘミア独立の英雄を描いているという説もあり、力強く勇壮な楽章となっています。ドヴォルザークの交響曲は第9番がかなり有名で演奏頻度も圧倒的ですが、この交響曲第7番は交響曲第9番、第8番についで演奏頻度の多い曲と言えるでしょう。ブラームスの影響を受けた交響曲でもあります。ドヴォルザークは1883年にブラームスの交響曲第3番の初演を聞いて、この交響曲の作曲に意欲を示しました。わずか4ヶ月足らずでこの交響曲を完成させたと言います。この曲に関しても多分に民族音楽の研究成果が現れています。ドヴォルザークの序曲『謝肉祭』は、ドヴォルザークの作品の中でも特に人気を得ている楽曲です。『自然と生命と愛』と呼ばれるドヴォルザークが作曲した演奏会用序曲の三部作のうちの2番目の曲で、本来ならばこの三部作は一続きで演奏することを意図して作曲されていますが、現在では、この『謝肉祭』のみで演奏されることが多くなっています。最初から最後まで賑やかな曲で、リズムは活気にあふれ、メロディは表情豊かですね。ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、ドヴォルザークの作曲した数々の曲の中でも特に有名な曲であり、交響曲第9番『新世界より』と弦楽四重奏第12番『アメリカ』と並ぶ傑作の一つです。チェロ奏者にとっては重要なレパートリーの一つにもなっています。この曲はドヴォルザークがチェコへ帰国する直前の1894年に書かれた曲であり、『新世界』や『アメリカ』と同様に、ボヘミアの音楽や黒人の霊歌をクラシック音楽と見事に融和させています。競争医局としては異例なほど、オーケストラの活躍する曲になっています。このピアノ協奏曲はドヴォルザークが唯一作曲したものですが、あまり有名ではありません。ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲よりもチェロ協奏曲が有名な作曲家というのはなかなか珍しいことですね。ある音楽評論家によると、「ピアノ・パートが効果的に書かれているとは言いかねるも、魅力的なピアノ協奏曲」ということだそう。スラブ舞曲には第1集・第2集があり、各8曲ずつで編成されています。元々はピアノの連弾曲として作曲されましたが、作曲者自身によってオーケストラ用に編曲されました。この曲はブラームスの「ハンガリー部曲集」に大きな影響を受けています。第2集は、第1集の成功を受けて出版社から作曲の要請があり、この曲が作曲されました。この曲は、ドヴォルザークにとっては実りのある年であった1875年に作曲された曲で、これまでの活躍から奨学金を十分に得ることができ、交響曲第5番やその他の室内楽曲など作曲に集中することのできた年でした。チェコ組曲は1879年に作曲された管弦楽曲です。ポルカやフリアントというのは、チェコ民族舞曲の一種で、ここにもドヴォルザークの民族音楽の研究成果が見られます。第五楽章のフリアントは、変則的なリズムとテンポが特徴的で、三拍子の音楽です。フリアントという種類はこの曲以外にも、スラブ舞曲集や交響曲第7番などにも活用されています。8つのユーモレスクは1894年に作曲されたユーモレスク集です。ユーモレスクというのはロマン派音楽以降に作られるようになった音楽の形式で、自由な発想によって作られたピアノのための短い楽曲であり、特に滑稽さであったり、気まぐれさであったりが表現されることが多い形式です。この8つのユーモレスクで最も有名なのは7番目の曲で、数々のテレビ番組やアニメなどでも使われています。あまり「有名曲」とは言えないかもしれません。ドヴォルザークの有名曲は15曲もありませんね。この「詩的な音画」はボヘミアの田舎の風景を描いたピアノ曲です。13曲からなっています。いかがでしたでしょうか。今回はドヴォルザークの名曲についてご紹介いたしました。ドヴォルザークの曲はやはり民族音楽的なものが多いですね。なんとなく故郷を思い出すような、哀愁漂う音楽が多いのが特徴です。クラシック音楽と文学と少々のお酒をこよなく愛する20代。現在は筋トレにハマりはじめている。慶應義塾大学在学中。クラシック音楽と文学と少々のお酒をこよなく愛する20代。現在は筋トレにハマりはじめている。慶應義塾大学在学中。星野リゾートの公式アカウントです。星野リゾートでは、自然や文化、食など、その地域の魅力に触れる様々な体験をご用意しております。すべてのお客様に「ここに来てよかった」と感じていただきたいという気持...TATRAS&STRADA 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1892年9月、ドヴォルザークは、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としてアメリカに渡った。彼は彼は、1893年5月に1894年1月1日、クナイゼル弦楽四重奏団(演奏時間は、全曲で約25〜30分。これは彼の弦楽四重奏曲中、三楽章形式の第4番に次いで短い。 Molto vivace第4楽章:Allegro con fuoco指揮:Sergiu Celibidache(セルジュ・チェリビダッケ/1912-1996)ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(Münchner Philharmoniker) 今回はドヴォルザークの名曲について、彼の生涯や逸話とあわせてご紹介いたします。ドヴォルザークは、交響曲第9番『新世界より』などを作曲したチェコの作曲家です『新世界』や弦楽四重奏『アメリカ』などに代表されるように、民俗的なフレーズを持つ音楽が多いのが特徴的です。 ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第6番「アメリカ」 ドヴォルザーク(1824-1884)がこの有名な四重奏曲を書いたのは、周知のように、ニューヨークに音楽学校長として赴任していた時期である。 ドヴォルザークがニューヨーク・ナショナル音楽院の院長として招かれアメリカに滞在していた時期に書かれたものなので「アメリカ組曲」と呼ばれることもありますが、内容は直接アメリカに関するものではありません。