小藪 ポスター なぜ
どんなふうに死を迎えるのか。11月25日に厚生労働省が公開した終末期医療に関するポスター。芸人の小藪千豊さんが最期を迎える患者に扮し酸素チューブをつけ、心電図が直線になって・・・そんな姿が写し出されています。厚労省は、26日、自治体へのポスター発送を見送ることを発表しました。わずか1日で掲示中止とPR動画の配信を中止を決定しました。『人生会議』は、終活は、人生の最期に向けて、葬儀やお墓について事前に考え準備しておくこと。相続や保険、遺言など身の回りの生前整理などを行うこと。『人生会議』は、など、患者や家族の会から抗議が殺到し、そして、がん患者団体などから改善を求める要望書が提出されたため、このポスターを使ったPR活動を1日で取りやめにしました。厚労省は『ご意見を真摯に受け止め、改めて普及、啓発の進め方を検討します』とし、ポスターを同省のホームページから削除し、病院や全国の自治体へのポスター配布も中止しました。死の瞬間を迎えた小藪さんが眉をひそめ、自分の思う最期を迎えられなかった後悔とともに『人生会議しとこ』と呼びかけているもの。まてまてまて批判されているのは、今回のPRポスターの内容が批判をあびているのはまた、家族と話し合う内容が『どう死ぬのか』という視点になっていて、死の恐怖をあおるだけという批判もあります。さらに批判をあびたのが『人生会議』の普及啓発事業を、吉本興業に一括委託し、今回は、そんな私が思うのは、小藪さんのポスターきらいじゃないということ。違和感や不快感はありませんでした。どちらかというと、インパクトがあっていいと思いました。小藪さんのお母さんのエピソードも知っています。意外と、本当はこういうことを考えながら死んでいくのかもしれないかなと思ってます。 ベルギーでは、法律で安楽死を選ぶことができます。もちろん、簡単に選べるわけではなく、いろいろな条件があります。この制度に賛否両論があると思います。ただ、病気で死ぬまで痛みと戦い苦しんで最期を迎えるのではなく、自分で最期を選択できるということは最大の『人生会議』ではないかと思います。ベルギー在住。ベルギー在住。 どんなふうに死を迎えるのか。それは遠い未来なのか、近い将来なのか、それだけの違いで誰もが受け入れなければならない事実です。自分自身のことだけではなく家族としての立場で直面するかもしれません。11月25日に厚生労働省が公開した終末期医療に関す  小藪千豊さんが演じた厚労省のポスターが批判を受け、沈痛の思いを語っています。 なぜ、このポスターは世間の批判を浴びたのでしょうか。 また、厚労省のいう「人生会議」とはなにか、調べてみました。  Contents 問題のポスターは、厚生労働省が終末期にどのような医療を受けたいかを家族や医療関係者と話し合ってもらうように促すために作ったポスター「人生会議」が、がん患者支援団体から「不安をあおる」などの批判が起こり、厚労省が全国の自治体へポスターを発送することを取りやめたもの。 このポスターで小藪さんは、病院のベッドで横たわる患者を演じています。  小藪さんは出演した番組内で、 「(テーマに)関西弁、芸人がふさわしくないと言われた。“グロテスクなポスター”という批判は、僕の顔面がキモいと言われているようなもの。僕じゃなかったら、もう少し燃え上がらなかったんかなと思う」と自責の念を切々と語り、「ここまで“男前やったらよかったな”と思ったことはない」ともらした。  と語っています。 小藪さん自身、母親を亡くした時に「あまり話せなかった」「親孝行できなかった」との後悔があり、「そういう思いをする人が1人でも減ったらいいなと思って、活動を偉そうにやらせてもらった」と意図を述べた。  小藪さんとしても自身の経験を踏まえて、いろいろな思いがあって引き受けたであろう仕事。 なのに、なぜ、こんなに炎上してしまったのでしょう。  「人生会議」とは、そもそも、 自分が望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療者・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取り組みであるACP(アドバンス・ケア・プランニング) の愛称として厚労省が掲げたもののようです。 小藪さんが自身の経験から死に直面したお母さんと十分に話せず、「本当にこれでよかったのか」との公開の思いがあったと述べています。 本来ならば、あらゆるステージで家族とこのような話し合いを持っておくべきなのでしょう。 緩和ケア医師の大津秀一さんは『 本来のACPは「あらゆる年齢や健康状態の成人」が対象 』と述べています。 延命処置をするのかしないのか、人生の最期をどこで迎えるのか、など本人の意向を確認したい場面が終末期には次々に起こりますが、「もしも」のその時に、一番肝心な本人の意思は確認できないことがほとんどです。 意識のはっきりしているうちから、できれば健康な判断力もしっかりしているときから、終末期の対応だけでなく、自分の好みや性格、価値観を家族や大切な人たちと共有しておくことが必要なのでしょう。 それをフォーカスしようとしたのが、今回の厚労省のポスター『人生会議』なのです。 ポスターでは、小籔さんが死を目前とした患者として酸素チューブを鼻につけ、ベッドに横たわりながら、心の声を明かしている内容になっています。青ざめた暗いイメージで撮られた写真に重ねられているのは、自身の望みを伝えることができなかった家族に対する不満の言葉です。『まてまてまて俺の人生ここで終わり?大事なこと何にも伝えてなかったわそれとおとん、俺が意識ないと思って隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど全然笑ってないやん。声は聞こえてるねん。はっず!病院でおとんのすべった話聞くなら家で嫁と子どもとゆっくりしときたかったわほんまええ加減にしいやあーあ、もっと早く言うといたら良かった!こうなる前に、みんな「人生会議」しとこ』小籔さんの胸の上には、心電図モニターのような波状の線が平らになったところが重ねられており、死の直前であることを強く匂わせています。  厚労省に抗議をした卵巣がん体験者の会スマイリーの代表、片木さんは以下のように述べています。  「がん=死」を連想させるようなデザインだけでもナンセンスだと思いますが、このような強い後悔を感じさせる恐怖感を与えることで本当に「人生会議」をしようと思うのでしょうか?これを目にする治療に苦慮する患者さんや残された時間がそう長くないと感じている患者さんの気持ちを考えましたか?   そしてさらに、このように続けます。  そしてもっと患者と話をすれば良かったと深い悲しみにあるご遺族のお気持ちを考えましたか?患者が旅立つ際に医療機関や在宅の場で立ち会うこともあり、どれだけ家族で話し合っていたとしてもご遺族が「もっと話し合っておけば」と悔やまれ深い悲しみを感じておられる姿を見てきています。  がん患者当事者の気持ちを考えていない、過去に一生懸命看病しながらも大切な人を亡くした人の気持ちを考えていない、というのが大きな主張のようです。   このような批判・講義を受け、厚労省は自治体に発送するはずだったポスターの発送を取りやめました。 これについて、このポスターポスターを擁護する意見も出ています。 「全身がん」であることを公表している高須クリニック院長の高須克也院長は自身のツイッターで、「何が悪いのでしょうか」としたうえで「僕は癌患者の老人です。僕はよいポスターだと思います」 とのべ、さらに、小藪さんに対しても 「小薮さんは謝る必要はないと思います。何の責任もありません。僕は作品に心うたれました。素敵なポスターだと思います」と擁護しています。  そもそも、「人生会議」を啓発するはずだった厚労省としても 「笑わせようという意図があったわけではない。今回の場合は、最後はゆっくり自宅で過ごしたかったのに話し合っていなかったから叶わなかったというところが伝えたかったメッセージ 。」 その思いと実際のポスターを見た人が受け取るイメージとの齟齬が大きかったのでしょう。 同じポスターを見ても、受け取り方は人それぞれ。 今まさにがんなどで闘病中の方が見た場合、同じく闘病後大切な家族を亡くした家族が見る場合、余命が残り少ないと感じて「どう死にたいか」を模索している当事者や家族が見る場合、まだ、そのステージにはない健康な人が見る場合…。 前2者であれば、スマイリーの抗議文のように感じるかもしれません。 後者であれば、高須院長のように感じるかもしれません。 『人生会議』の意図するところは、現代の医療において必要なことと思います。 しかし、デリケートな話題だけに、なかなか家族と話しあいを持てないでいる家庭も多いと思います。  今回、このポスターはお蔵入りになってしまいそうですが、『人生会議』について考えるきっかけにはなったのかもしれません。