しかし近代に入ると、ヨーロッパ世界をはじめとする非イスラーム世界の学者達のハディース批判の影響を受け、両真正集のハディースや、甚だしくはハディースすべてを後代のイスラーム共同体による捏造として否認するムスリムも現れるようになった。 イスラームの項目でもあるように、「イスラム教は宗教的理念のみならず、民間の慣習や政治に深く関わっている。そのため、政教分離を特徴とするシステムとイスラーム的なシステムは相矛盾する」という主張がある。これは伝統的社会秩序を維持したい保守派ムスリムによって主張されることが多い。そのためどの程度折り合いをつけるかが、20世紀以来のイスラーム社会の大きな問題となってきた。 さらに現在、イスラム教は世界中で最も急速に信者の絶対数を増やしている宗教です。 世界最大宗教トップ1:キリスト教(人口24億人) キリスト教の起源は2千年以上前に遡り、その教義はイエス・キリストの教えを基礎とするもの。 このようなアラビア語に対する認識から、イスラム教は少なくともその成立当初はアラビア語を解するアラブ人のための上記のとおり、イスラームの教典としてすべてのムスリムがその内容を認める(認めることがムスリムとしての絶対条件とされる)のはアル=クルアーンのみであるが、実際にはアル=クルアーンに次ぐ事実上の聖典と言える書物が存在する。 イスラームのこの理解に基づいて、近年はイスラーム研究者の間で「イスラム教」あるいは「イスラーム教」という「宗教」の側面のみを意味する「教 (-ism)」の字を取り去って単に「イスラーム」と表記すべきであるという主張が行われ、ある程度のしかし一方で、このようなイスラーム理解はイスラームの律法的側面を過度に強調しており、この節にはイスラム教はアラビア語を母語とするイスラム教に帰依する者(イスラム教徒)は、アラビア語起源の言葉でまた、「イスラム」という名称は、創始者(または民族)の名称を宗教名に冠していない(即ち、ムハンマド教とならないイスラームは最初の人間アーダム(アダム)を最初の預言者として始まった真正な宗教とされ、他の宗教はそこからの逸脱として始まったのであると考えられている。(一神教系他宗教はこの意味ではイスラームの一部) 一方で、前嶋は、「ウマイヤ朝のカリフたちは人間くさいというか、俗っぽいというか、古代アラビアの気風が濃厚であったが、アッバース朝の帝王たちは、だんだん神がかった存在になって、一般民とは隔絶された半神半人のごときものと思われるにいたった」と評価するこうした中、領土の拡張の停止に伴い、イスラム教の伝搬も下り坂になるが、他方、イスラム商人の交易を通して、その後の数世紀間に、東南アジア、アフリカ、中国などにイスラム教がもたらされ、一部をイスラム教国、もしくは回族地域とすることに成功した。 しかし、同時にアッバース朝の時代には、イベリア半島にウマイヤ家の残存勢力が建てたイスラム教で最大の勢力を有する宗派である。下位分類に法学派(イスラム教で第二の勢力を有する宗派である。 このカテゴリには下位カテゴリ 109 件が含まれており、そのうち以下の109 件を表示しています。 カテゴリ「各国のイスラム教」にあるページ . この節にはイスラム教徒が多数派の国、あるいは無視できない規模の少数民族である国に、また欧米などの先進国におけるイスラム教徒の移民やその子孫が起こす宗教問題など現在議論されている問題をここで述べる。またイスラム教徒が多数派の国でも国の実権を握る軍部(トルコやアルジェリア)や政党(バアス党)などがシャリーアを施行していない場合はこれらの国はイスラーム国家ではない。またイスラム教徒が多数派でなくとも一部の州で多数派を形成する場合はシャリーアがその州だけ適応される場合がある。 こうした事情を踏まえた上で、本質主義的に「イスラーム社会では男女は共存することはできず、男女間には完全な平等は存在できない」と主張し、イスラーム世界の女性を解放するためにはイスラームそのものを廃棄せねばならないと唱える非ムスリム諸国の知識人も存在している。 シーク教は中世から近世にかけて、インドにおけるイスラーム神秘思想とヒンドゥー教のバクティ信仰が相互浸透をした結果生まれた一神教であり、ヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教などインド系宗教の特質とともに、アブラハム系の宗教の特色も備えている。 さらに、貞操や名誉などの伝統的な社会通念を重んじる地域では、強姦の被害を受けた女性は被害者であるとみられるよりもむしろ「恥」とみられるような感覚をもたれることになり、国法によらず私法により処刑されること(名誉の殺人)があり、問題となっているベールなどをつけていない女性に対する性暴力に関して、一部の超保守的なイスラーム教指導者は、まるでそのような女性はレイプされて当然であり、女性のほうが悪いという発言をすることもあり、問題視されている。オーストラリアでは2006年10月に一人のイスラーム教のウラマーが「肌を露出している女性は強姦を誘っている」という発言を行い、オーストラリア世論の憤激を買った。ただしこの発言に対しては、オーストラリアのウラマー達の多数が「強姦を正当化するものであり容認できない」という見解を示しているまた後述するジハードに関しても、ムハンマド在世中の遠征で女性捕虜に対する強姦が兵士の報酬として認められていたことを伝えるハディースが存在しておりまた、前近代イスラーム世界では、古代ローマにおける処女を殺すことへのタブーから引き継がれた俗信として「処女のまま死んだ人間はアッラーの待つ天国に行く」というものがあり、それを防ぐため処女の死刑囚は、死刑執行の前に看守に強姦させるべきだという説があった。現代でもこの俗信を信奉する人間がおり、イラン革命後のイランでは指導者ホメイニーの布告であるとして処女の死刑囚を看守に強姦させてから死刑に処した事例が報告されており、国際社会の批判を浴びているジハードの語源は「苦闘・ムスリムが“神のために苦しむこと、自分の欲望を断ち切って努力すること”をジハードというが、これは歴史的に見ても対外的侵略の口実として用いられることがあり、とりわけ預言者ムハンマドの時代から初期イスラーム帝国の時期にかけては、イスラーム共同体が全世界とその人民を支配下に置くのは宗教的義務であるとして、侵略戦争としてのジハードが行われ、現代のイスラーム世界の骨格となる領域が形成されたもともと伝統的な多神教が信仰されていたアラブ人の社会の中で生まれ、さらにユダヤ教やキリスト教などの異教を乗り越える中で拡大していったイスラム教は、自らが純粋で真正な一神教であるという確信に基づく自意識を強く持ち、イスラーム共同体の開祖であるムハンマドの時代からムハンマド自ら多神教の信者を屈服させその神像を打ち壊し、さらに敵対するユダヤ教徒を屈服させることによって急速な拡大を実現した宗教であるとされているが、その一方で、ムハンマドは和平を強く象徴しており、神像破壊は、幾度と行われた外交的な交渉で勝ち取ったメッカへの巡礼許可のもとに行われたものであるただし歴史上のそれに関しては、イスラームによる他宗教への弾圧に関しては近年でも、ターリバーン政権によってしかし一方で、イスラム教では、無実の者を殺害することは一切禁じられており、クルアーンにも厳しく書かれていることを、ウラマーや学者は指摘する。したがって、イスラームとテロリズムは、実態としてテロリズムの実行者や支持者たちにどう受け入れられているかは別問題として、本質的には相容れないものであるという反論がある(とは言え迫害により無実の者が多数殺されたことや名誉の殺人が未だ横行しているのも事実であるが)。近年、ただし、同時多発テロに際しても、イスラーム社会の宗教指導者たちの少なからぬ者は、「暴力はイスラームの本質ではない」として直接的・間接的にテロを批判したが、複数の宗教指導者が、テロの実行犯たちをジハードによる「殉教者」として称えるファトワーを発するなど、評価はまちまちであった。このため、特に日本などにおいてはイスラム教=(ターリバーン、アル=カイーダなど)過激派揃いと言ったイメージがあるが、先述の通り、地政学的にも数多くの解釈がある中で、これらの問題を純粋に「ジハードの名における軍事行動そのものだけでなく、それを律するイスラーム戦争法もまた、摩擦の種となることがある。