習近平は「中華帝国」を構築しようとしている 「中華民族の偉大なる復興」とは? このたび、『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』(講談社現代新書)を上梓した。 「パックス・チャイナ」という言葉は、私の造語である。 ... の盟主」の地位を、中国が奪おうとしているのだから、日本人の中国への嫌悪感は、ある意味、当然とも言えるだろう。 パクス・アメリカーナ( ラテン語: Pax Americana (パークス・アメリカーナ))とは、「アメリカによる平和」という意味であり、超大国 アメリカ合衆国の覇権が形成する「平和」である。 ローマ帝国の全盛期を指すパクス・ロマーナ(ローマによる平和)に由来する。 その意味するところは、自分が「アジアの皇帝」として君臨する「パックス・チャイナ」を、21世紀のアジアに構築することに他ならない。 それでは21世紀のアジアは、本当に「パックス・チャイナ」の時代を迎えるのか。
習近平主席は21世紀のアジアに、「パックス・チャイナ」(中華帝国のもとでの平和)の構築を目指している。 古代から19世紀前半まで、長年にわたってアジアには、「冊封体制」と呼ばれる「パックス・チャイナ」が機能していた。 たかだか、100年に満たない国の歴史しか持たない国が偉そうに増長するなよ!21世紀に入って、周知のように中国の台頭が目覚ましい。2010年に中国は、GDPで日本を追い抜いて、アメリカに次ぐ世界ナンバー2の経済大国にのし上がった。中国は、公表している経済統計も軍事費も正確さと透明性に欠けるが、私の推定では、経済力でアメリカの3分の2、軍事力でアメリカの3分の1規模まで来ている。軍事力に関して言えば、世界中に展開しているアメリカ軍と違って、人民解放軍は東アジア地域に集中しているので、東アジアにおいては、すでにアメリカ軍と同等の能力を有していると言ってよい。1840年になってアヘン戦争が起こり、清帝国はイギリスに屈したことで、「世界ナンバー1」の地位を失った。それから約半世紀後の1894年に日清戦争が起こり、清帝国は日本に屈したことで、「アジアナンバー1」の地位も失った。こうして20世紀の前半は、日本がアジアを軍事的に支配した。20世紀後半は、引き続いて日本が経済的に、そしてアメリカが軍事的に支配した。13億8000万人の中国人も、毛沢東主席を妄信していた前世紀の中国人民とは違う。いまや年間1億人以上が海外旅行に出かけ、インターネットとSNSで、世界中の情報と日々接している。独裁体制をすんなり受け入れる「土壌」ではないのだ。習近平主席の特徴の第2のキーワードである「毛沢東」に関しては、習近平主席の幼なじみから、次のような話を聞いたことがある。対外的にも、今年5月20日には「台湾独立」を綱領に掲げる民進党の蔡英文主席が、台湾総統に就任した。また、中国が南シナ海の埋め立てを強行するほど、ASEANは中国への警戒を強めていく。そもそも中華思想は、自由・民主といった人類の普遍的価値とは相容れない。中国大陸で起きた出来事に過ぎませんので・・・日本の歴史の大部分は日本人同士の争いの歴史なので価値観が元々違います。習近平主席が、いかに尊敬する毛沢東主席をまねているかを示す例は、枚挙にいとまがない。演説にはほぼ必ず毛沢東語録が入るし、所作は毛沢東ソックリ。そして「中南海」での権力掌握術から、国民との接し方まで、毛沢東主席の生き写しのようなのだ。換言すれば、20世紀と21世紀しか実感のない現存の日本人が未経験の世界に、アジアは突入しつつあるのだ。それが、「パックス・チャイナ」の世界である。それでは21世紀のアジアは、本当に「パックス・チャイナ」の時代を迎えるのか。中国がこのまま順風満帆に台頭していくなら、かなり高い確率で、「パックス・チャイナ」の時代が到来するだろう。特に、今年11月に共和党のトランプ候補が、次期アメリカ大統領に当選すれば、その時代に一歩近づく。トランプ候補が主張するように、アメリカ軍がアジアから撤退していくなら、「アジアの空白」を埋めるのは、チャイナ・パワーとなるに違いないからだ。習近平政権のキャッチフレーズは、「中国の夢」(チャイニーズ・ドリーム)。これは略称で、正確に言うと、「中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現」だ。その意味するところは、自分が「アジアの皇帝」として君臨する「パックス・チャイナ」を、21世紀のアジアに構築することに他ならない。私は2012年11月に、習近平新総書記の就任演説を間近で聴いたが、完璧な標準中国語を話すのに驚いたものだ。中国は日本の25倍もの国土があるので、出身地が違えば、言葉から食事、気質まで違うのである。この「北京人」「毛沢東」「古代回帰」という3つのキーワードを組み合わせると、習近平政治の本質が見えてくる。それを一言で言い表すなら、「21世紀の皇帝政治」である。ある時など、『オレは毛主席の60年後に生まれたんだ』と吹聴していた。古代中国には『還暦の思想』(人間は60年で生まれ変わる)があったが、自分を毛沢東主席の生まれ変わりと思っているようだ」北京人の特徴とは、思いつくままに縷々(るる)書き連ねれば、プライドが高い、メンツ重視、頑固、短気、大胆、保守的、大雑把、お人好し、政治好き、経済オンチ……といったことだ。これは、過去2代の江蘇人指導者の最大の特徴だった「リスク回避の志向」とは、まるで異なる。政治的には、「プーチン大統領のロシア」のような習近平主席の独裁体制になりつつあるが、それでも来年秋の第19回共産党大会へ向けて、ナンバー2の李克強首相率いる「団派」(共産主義青年団出身者)の反撃が始まっている。何と言っても「団派」は、8000万人ものエリート集団なので、そう簡単に屈服はさせられない。私は、習近平政治の特徴を、「北京人」「毛沢東」「古代回帰」という3つのキーワードで言い表せると考えている。まず、「北京人」について説明しよう。1949年にいまの中国を建国して以降、「初代皇帝」毛沢東は湖南人、2代目の鄧小平は四川人、3代目の江沢民は江蘇人、4代目の胡錦濤も江蘇人(もしくは安徽人)なので、習近平は初めての生粋の北京人である。2012年12月に発足したいまの安倍晋三政権は、「中国に対抗する」という選択肢を選んだ。この3年半の安倍外交は、「中国への対抗」という一点に収斂されると言っても過言ではない。現役の首相として、10年前に退陣した小泉純一郎首相以来となる靖国神社参拝を果たしたのも、昨年4月にアメリカ連邦議会で演説したのも、今年3月に安全保障関連法を施行させたのも、すべては中国に対抗するためだ。中国が2世紀ぶりに、アジアの盟主になれるのかという大事な時期に、北京の「中南海」は、習近平という指導者を、「第5代皇帝」に推戴した。今年3月に内閣府が発表した世論調査によれば、日本人の実に83・2%が、中国に親しみを感じていない。日本が100年以上維持してきた「アジアの盟主」の地位を、中国が奪おうとしているのだから、日本人の中国への嫌悪感は、ある意味、当然とも言えるだろう。また安倍政権は、そうした国民の「反中感情」のバックアップを受けて、3年半に及ぶ長期政権を維持しているのである。日本は、2世紀ぶりに「アジアの中心」に躍り出ようとする中国と、どう対峙していくか。これは21世紀の日本にとって最大の外交問題である。その選択肢は大別すると、「中国に従う」「中国に対抗する」「中国を無視する」……と、いくつか存在する。いずれにしても、習近平主席の「パックス・チャイナ」戦略は、日本も巻き込んで進んでいく。その意味で、隣国の状況を深く識ることが大事である。まず、1978年末に鄧小平が主導して改革開放政策を始めて以降、怒濤のように成長してきた中国経済が、いまや青息吐息となりつつある。そんな時、中国の最高指導者は、毛沢東ばりの経済オンチである習近平主席なのだ。古代から19世紀前半まで、長年にわたってアジアには、「冊封体制」と呼ばれる「パックス・チャイナ」が機能していた。これは、宗主国である中国と、属国(朝貢国)である周辺国との「緩やかな主従関係」だ。ただし、中国大陸と海を隔てている日本と、高い山を隔てているインドは、このシステムに組み込まれずに生存できた。このたび、『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』(講談社現代新書)を上梓した。「パックス・チャイナ」という言葉は、私の造語である。古代の地中海世界で展開された「パックス・ロマーナ」(ローマ帝国のもとでの平和)、産業革命後の「パックス・ブリタニカ」(大英帝国のもとでの平和)、第二次世界大戦後の「パックス・アメリカーナ」(超大国アメリカのもとでの平和)などに続き、習近平主席は21世紀のアジアに、「パックス・チャイナ」(中華帝国のもとでの平和)の構築を目指している。「習近平は、父親の習仲勲(元副首相)が文化大革命前に失脚した影響で、15歳から22歳まで、北京の幹部用豪邸から陝西省の穴倉に追放された。その間、『人民日報』と『毛沢東語録』しか読むことを許されず、毛沢東主席にすっかり洗脳されてしまったのだ。毛沢東という名を聞いて中国人が想起するのは、建国の英雄であり、中国共産党の象徴であり、晩年には文化大革命を主導した独裁者である。くれぐれも過去の歴史のように眠れる・・・にはならないように祈ってるよ。だが、「歴史とは予測不能な波乱の集積」と言うように、中国がこのまま順調に台頭し続けるとは限らない。第3の特徴である「古代回帰」は、前述の通りだ。すなわち習近平主席は、盛唐の時代を理想型とする「冊封体制」を、常に頭に描いて執政しているように見受けられる。
その意味するところは、自分が「アジアの皇帝」として君臨する「パックス・チャイナ」を、21世紀のアジアに構築することに他ならない。 それでは21世紀のアジアは、本当に「パックス・チャイナ」の時代を迎えるのか。