傍観者になって. 大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、ホントにためになる禅語がたびたび登場します。大河ドラマ直虎の第10話「走れ竜宮小僧」では昊天の「日日是好日」。第13話「城主はつらいよ」では「自灯明」。「日日是好日」はすでに別記事で書いていますので、今回は「自灯明」を是非紹介したいと思います。 出典:第13話「城主はつらいよ」で、瀬戸村、祝田村の農民たちは借金をチャラにしようと徳政令の発布を井伊直虎に願い出ますが、直虎は徳政令を出すことができません。そこで直虎は商人・瀬戸方久(ムロツヨシ)の妙案(瀬戸方久を家臣に加え、両村を瀬戸方久の領地とすることで借金の返済猶予を設ける。)に乗ろうとしますが、自身の決断には躊躇がありました。南渓和尚は、「領主は筆一本でそれができる力がある」と直虎に語り、直虎はその力を持つ怖さを知ることになります。領主として悩む直虎に南渓和尚は「自分の信じたものを明かりとして進むしかない。」とアドバイスし、直虎はこれを『自灯明』の精神と理解して決断を下しました。直虎に決断をさせた『自灯明』がどういう意味で、誰が言った言葉なのかを次で説明します。 「自分自身をよりどころにして生きよ」という禅語。「自灯明・法灯明」と続き、釈迦が入滅する直前に、おろおろとする弟子のアーナンダに示した最後の教えだと言われています。釈迦の死後には、一体誰から教えを受ければいいのかとアーナンダが嘆きながら質問した時、釈迦は「私や他者に頼ってはならず、自己と仏法をよりどころにせよ。」と説いたと言われます。大意としては、「自己観察をして自分と向き合い、真理に近づくような生き方をしなさい。」ということ。他人をあてにする依頼心などは捨て去ることが重要で、最終的に支えとなるのは自己しかないというありがたい教えです。 結局、周囲の状況は現在も直虎の時代もめまぐるしく変わっていきます。そんな状況下の決断は、自分と向き合い自分で判断しなさい。そしてその責任は全部自分で受け止めなさい。他の者の意見や主義、主張、言葉などに惑わされてはいけないよということだと私は思います。 この『自灯明』はこのように簡単に説明してしまうと、当たり前というかありふれた自己研鑽の言葉のように感じてしまいますが、そもそもお釈迦様がキリストが生まれるずーとずーと前に言った言葉で、あまりにこの言葉が人の心を惹きつけて語られてきたから、今日ではありふれた言葉のようになってしまっているんだと思います。 ありふれた言葉だと言い切ってしまうのは簡単ですが、実際自分の身に何かが降りかかった時、『自灯明』の精神で臨むのはなかなか難しいですよね。「仕事やめたい、やめようかな、どうしよう。」と他人に漏らす人は多くいますが、それは誰かに相談することで自分で責任を取ることから逃げているのかもしれません。『自灯明』の精神があれば、他人の意見など求めずに答えなんかとっくに決まっていて、すでに実行しているんですよね。それは本当に難しいこと、不安なことだと思います。この言葉は本当に深い・・・私はこの『自灯明』という言葉に出会えて本当に良かったと思います。 出典:大河ドラマ直虎大河ドラマ直虎大河ドラマ直虎 大河ドラマ直虎 自灯明とはどういう意味? 徳政令を断念した直虎が自灯明(じとうみょう)の精神で瀬戸方久の妙案を決意 投稿日:2017年3月30日 更新日: 2017年7月2日 始まりも終わりもない永遠の. 至福の状態です。 本来の自分とは 「サット・チット・アーナンダ」
おもしろきこともなき世をおもぶろぐ , こんにちは。 やすです! 今日の夜から「爆笑珍道中!2世芸能人の自炊旅しまーす!」のバラエティ番組で竹下景子の息子の関口アナムが登場しますね。 デビューしてからもう何年もたっているようなんですが、私としては初めて聞いた名なのでちょっと気になって調べてみました。 今この瞬間にいる「存在」です。 「純粋意識」であり 、自由で苦も楽もなく. ブッダの十大弟子の中で最も有名なのが日本では「「アーナンダ」という言い方もあります。聖☆おにいさんのマンガにも欠かせないキャラ今回は、(ブッダの弟子シリーズ)クリックして好きな場所へ移動実は、アナンダはブッダのいとこです。いとこといっても、アナンダが出家したのは、ブッダの名前が故郷にまで釈迦族の若者達の間で「ブッダの弟子になろう」とその時のリーダーであったアヌルッダも、ブッダの命を狙い続けた、数々の悪名高いアナンダとは兄弟という間柄でした。兄がディーバダッタ、弟がアナンダで言われること釈迦族から一緒に出家したそんなアナンダは、ブッダが悟りを開いて20年経ったブッダが55才の時に、これまでは何でも自分でということで、だれか侍者が欲しいと言います。弟子たちが相談して推薦したのがアナンダでした。アナンダとその当時25才くらいだったと考えられます。ブッダもと喜びましたが、当のアナンダは、・ブッダから食べ物・衣などの品を ・自分からブッダへ品を差し上げる事はOK ・よその国からブッダへ訪問者が来た場合は ・自分が不在中のブッダの説法は、 なんだか随分勝手な内容に聞こえますが、しっかりとブッダの秘書役を果たしたいと若かったアナンダは、その後ブッダが常に影の様に従い、あれこれと献身的に記憶力がよくて、ブッダの秘書役として常に側で十大弟子の中で最も若く、美男子だったので、 アナンダは熱心な修行僧でしたが、ブッダもそれに困ってしまうほどでした。ブッダの説法は、一般の女性信者でも聞くことがその視線は色男のアナンダに釘付けだったようです。アナンダはとても優しかったので、その女性達をそんな事があった後、ブッダと二人きりになった と、注意されたそうです。 そんなモテ男のアナンダですが、夏のある日、托鉢(たくはつ)に出たアナンダは、喉が渇きするとその娘は、 と、アナンダの頼みを断ります。その娘は、今も根強く残るカースト制度でいう、そんな娘にアナンダは、さらにこう言います。 そんなアナンダの優しさに娘はすっかり虜と恋心を抱かれたアナンダは追いかけまわされてしまい、するとブッダがその娘にこう言いました。 すると娘は喜んで出家しました。そうして修行に励むうちにアナンダに対するまたまた女性がらみのお話しですが、 その女性とは、「ブッダの育ての母」でした。ブッダの育ての母であるその女性は、(本当の産みの母親(マーヤ婦人)は ブッダの叔母は、出家させてほしいと願います。 しかし、ブッダは叔母の出家を許すと、それでも叔母はブッダのあとを追って、足は血だらけ、ほこりまみれの変わり果てた ボロボロになってブッダのもとにたどり着いたそれでもブッダは出家を拒みます。すると、日頃は大人しくブッダへの忠誠心この時ばかりはブッダへ言いました。 と、つめよったのです。 結局ブッダのほうが折れて、ブッダに意見したアナンダは、「多聞第一」と称されるアナンダですが、その凄すぎる集中力にまつわるお話しがあるのですが、ある日、アナンダの背中に大きな腫瘍が切開して手術することになったのですが、自分が切開されている事すら気づかないほどのアナンダは、十大弟子の中で一番悟りを実は、アナンダが悟りを開いたのは情に厚い面を持つアナンダでしたが、こうした情にもろい性格がいけなかったのかも ブッダは死の直前にアナンダと数人の弟子を連れてブッダは自分の死期が近い事をすでにその途中の村でチュンダという鍛冶屋がその料理の中に毒キノコが混じっていたのです。ブッダは激しい腹痛・下痢に苦しみ、 25年もずっと全ての身の回りのお世話をしてきたそんなアナンダにブッダは、優しく教えを説いて(お釈迦様の涅槃の様子はこちら) アナンダはわんわん泣いて取り乱しました。悟りをまだ開いていないアナンダは他の弟子達にもブッダの死が伝わる中、 その言葉に、ブッダ亡き後の教団を率いていく こういった考えの僧が1人でもいる事を知った教団がバラバラになる事を恐れて、そこで、ブッダの死(2月15日)から3ヶ月経った頃マハーカッサパの集会に呼ばれた王舎城郊外の七葉窟(しちようくつ)へとこの集まりで、「経典編纂会議」といって、もちろん、アナンダもかけつけたものの、 と止められてしまいます。しかし、25年間ブッダの側に仕え、秘書役をしてきたアナンダは本人も参加したいし、他の阿羅漢たちもマハーカッサパは、さらに続けてこう言いました。 というのです。 以上の5つの罪を言い渡されたアナンダですが、 アナンダがおかした罪の5番目にブッダの陰部という悟りを開いたブッダの身体的特徴として他の人とは異なる部分が32箇所あります。その中の1つが「陰蔵相(おんぞうそう)」そういう状態の意味としては、その部分をアナンダは、ブッダが亡くなって誤って側にいた尼僧にとにかくそれを、マハーカッサパから「罪」として叱られてその場から帰るアナンダは、どうしたものかと一人で泣く泣く座禅を組んでいました。会議は明朝‥。悟りを一晩で開かないと会議には出席できない‥。極限状態の中で疲れ切ったアナンダはなんとその瞬間に奇跡的に悟りを開いたのです!ぎりぎり間に合ったアナンダは待っていた大勢の阿羅漢達とマハーカッサパはさっそく経典作りが始まりました。司会進行役のマハーカッサパは、アナンダを と言います。すると、「多聞第一」アナンダは とえんえん語り続けたといいます。皆さんがお経を聞いた時に、その出だしがで始まるのを聞いたことがあると思います。この如是我聞は、「私はこのように聞きました」浄土真宗ではの始まりが、如是我聞・一時仏在舎衛国‥実はこういったお経は、アナンダが 生前のブッダが、自分の教えを形にすることをブッダの教団を引き継いだマハーカッサパでしたがその次に教団を引き継いだのはアナンダでした。生前のマハーカッサパが教団の三代目を アナンダはマハーカッサパ亡き後、十大弟子の中でも一番長生きで、ほぼ天寿を言い伝えとは、本当に面白いもので、ブッダのお話しには神通力や、空を飛ぶ、山が動く、火が噴き出すという記述がよく出てきます。 アナンダの最期も劇的でした。 自分の死期を悟ったアナンダは、死んだ後の自分の遺骨の争奪によって争いが起きる事を心配したのです。崇拝対象の徳の高い僧が亡くなった時に後に大勢の人がそこへお参りする為、 死ぬべき時が来た事を知ったアナンダは、ガンジス川に船をこぎ出し、その体が空に高く飛び上がり、火に包まれたというのです。 その瞬間、アナンダの骨は花火のように飛び散って上空から川の両岸へと四方へ落ちて行ったそうです。 すごい最期ですが、こうした骨の分骨により、骨が落ちた地にそれぞれ仏舎利塔が建てられて左右の国に平等に分けられたということです。 とても普通ではない死に方ですが、後の言い伝えや仏教学者、信者によってこういった「アナンダ像」が現在に伝わっているのでしょうね? この十大弟子はブッダが決めたものではなくて、後の仏教学者たちが大勢の弟子の中から 特徴:「智慧第一」 特徴:「神通第一」 特徴:「頭蛇第一(ずだだいいち)」 特徴:「天眼第一(てんげんだいいち)」 特徴:「解空第一(げくうだいいち)」 特徴:「説法第一」 特徴:「論議第一」 特徴:「持律第一」 特徴:「密行第一」 特徴:「多聞第一」今回は、アナンダという人物だけを弟子の立場から見てみると、ブッダの周りにスピンオフ的な視点て物語を見る事ができて今後、さらに他の十大弟子についても調べて最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
【意味】 あなたとは、対等もしくは目下の者に対し、軽い敬意をもっていう二人称。妻が夫を呼ぶなど、親しい男女間で相手を呼ぶ語。 【あなたの語源・由来】