下人の行方は、誰も知らない。 (『羅生門』より引用) という一文で、話は終わります。 下人の結末が分からないまま話が終わってしまうというのも、ホラーのようなゾッとする効果を演出し、読者に印象的な結末を見せるのです。 下人が老婆から着物を奪って夜の闇の中に逃げた後、という一文で、話は終わります。下人の結末が分からないまま話が終わってしまうというのも、ホラーのようなゾッとする効果を演出し、読者に印象的な結末を見せるのです。 このようなシンプルながら骨太な文章表現、物語の構図が発表から100年以上たった今でも読まれ続けているゆえんなのではないでしょうか。
最初に下人の様子を説明し、次に 滑り台やシーソーのすぐ横に、柵で囲われており、日常のなかに急に遺跡があるということで、少し違和感を感じるかもしれません。気になった方はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。このことについては本人から明かされていないので理由は分かっていません。しかし、小説に登場する下人と老婆という「生者」たちの「生活」が描かれてるため、「羅城門」ではなく「羅生門」に文字を変えたのではないかという考察もできます。 さらに「羅」という字を大辞泉で調べてみると、「網の目のように並べ連ねる。並ぶ」と書かれています。京都の街が碁盤のようにできているというのもありますが、小説では人々の「悪」の連鎖的つながりにも関わってくる文字とも考えられるのではないでしょうか。冒頭の二文目にとあり、その後にと唐突に作者が登場してきます。このような文章の構図にした理由は何なのでしょうか? 作者の主観によって京都の衰微した状態や下人の状況などが説明されているこの文章。客観的に語られる物語の合間に、作者による細かな説明が入ることや作者による主観的内容が加えられる事により、その後再び客観的文章に戻った時に下人に対する理解が二重に深められるためだと思われます。 ちょっとしたところにも、文豪ならではの技巧的な表現がみられますね。『羅生門』は人の性悪説的な要素を示している作品ではないでしょうか。ここでは、そのテーマを示す作品の要素をご紹介していきます。物語は雨の降る夕暮れから始まって真っ暗な夜で終わり、天候などからも暗さ・陰鬱さを感じさせる展開です。そして文中では下人が右の頬にできた大きなニキビを気にしているという登場しています。このニキビも、「モヤモヤとしたもの、煩わしいもの、膿」を具現化したような象徴のようです。この3人に共通するのは何かというと、自分が生きるために悪事を働いたということです。つまりここでは一貫して悪が存在しており、上記でも紹介した「羅生」を表現しているのです。 下人の「ある勇気」というのはある種の爽快感、決断をともなう悪という存在。陰鬱だった序盤を吹き飛ばすかのような鮮やかな結末ですが、それはもちろん正義などではなく、悪。読者になりふり構わない生き方を見せることで、悪と正義の存在意義を問う構成にしている結末のように感じられます。ストーリーのなかでも、印象に残る言葉として、主人公が短く発したという言葉があります。この言葉は上で書いた「ある勇気」を持ったことが表現されている重要な部分。シンプルな言葉ながら、下人が盗人になる勇気を出したという大きな転換点が表されています。 平安時代、災いが多発している京都の羅生門に下人が一人、雨が止むのを待っていました。 彼は今後、自分が生きていくためにも盗人になるしかないと考えているものの、その勇気がありませんでした。彼はこの一晩の寒さをしのぐため、羅生門の楼の上に行きます。そこには死体がゴロゴロ横たわっていましたが、その中に一人の死体から髪を抜く老婆がいました。 下人は老婆を捕まえ、死体の髪を抜いていたワケを聞くのですが……。 『羅生門』はまだ芥川龍之介が無名だったころの大正4年(1915年)の11月に雑誌「帝国文学(1895年から1920年発刊)で発表されました。このとき芥川はまだ23歳の青年で、東京帝国大学英文科に入学してから2年後のことでした。 copyright honcierge 2014 『羅生門』末尾の一文、実は2度改稿(原稿を書き直すこと)をしています。 まず、現在の『羅生門』は第3稿であり、結びは次の形になります。 下人の行方は、誰も知らない。 出典:第三短編集『鼻 … 三七 「下人の行方は、だれも知らない。」という結びの一文の表現効果について説明せよ。 」という結びの一文の表現効果について説明せよ。 (解答例)読み手が、作品世界から突き放されたような感じを抱き、同時に余韻を含んだ効果をもたらす。
カテゴリー芥川龍之介(1997)『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇』,p9, 文藝春秋.『羅生門』は芥川龍之介の文壇的な高校の教科書にも載っているので、一度は読んだことがあるという人が多いのではないでしょうか。この『羅生門』ですが、元は『芥川龍之介は他にも多くの古典作品をアレンジ・リメイクしており、その作品群はジャンルによって王朝物や切支丹物、中国物と呼ばれています。『羅生門』はその中でもここではそんな『羅生門』について解説(考察)していきます。それではみていきましょう。ある日の暮れ方、一人の下人が奉公先から数年のうちに地震や火事や飢饉などが続いて起こったせいで京都は下人はさっきから「このままではともかく今日の寝床を確保しようと羅生門の楼の上に出るが、人のいないと思っていた楼の上には火がついていて、どうやら上にいたのは痩せ細った老婆は驚くが、「これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、それを聞いた下人は「あらすじでもみたとおり、下人はそんな中、俺は盗人になるのか?それともどうにかして生きていくのか?いやどうにもならないだろう、やはり盗人になるほかあるまい、いや、でも、、、という盗人の他に道がないのであれば、論理的には下人はつまり、下人は善悪の狭間で揺れているのです。では、下人はどのようにしてその自問自答にけりをつけたのでしょうか。その決め手となるのが物語終盤の 少しポップに脚色しましたが、大体こんなところです。老婆の言い分にも下人は羅生門の下で、しかし、自分で決断することが出来なかった下人は、老婆とのやりとりの中で下人の論理をまとめるとこうなります。見事に悪の因果が続いていますね。こうした「などと想像力を駆使して下人の行方を考えるのも楽しいですが、「俺(下人)も生きるために老婆の服を剥いで売ろう」と考えた下人は、その時点で悪の因果にですので、次には「つまり、羅生門の上にいた老婆の立場に下人がこうした『羅生門』の作品構成にしたがえば、残念ながら下人にハッピーエンドは『羅生門』ってなんでこんなに有名なんでしょうか。もちろん、教科書にも載っていて結末(オチ)も面白いのですが、どうやらそれだけでもなさそうです。次の文章を見てみてください。少し注目してほしいのは、この「この市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)ってなんのことだか分かりますか?これは、平安時代の女性や男性のこんな感じのやつですね。話を元に戻しますが、ここでの表現(「市女笠や揉烏帽子」)というのは実は比喩といえば「見ろ、人がゴミのようだ!(某大佐)」のような「おいそこのメガネ!」のような比喩はそうしたそうした小技が作品の随所に見られ、結果的に職を失って、明日から食べるものもない。もしこういう状況になったらいやいや、そんなことはたしかに今の日本で下人と同じ状況になることはそれに、そうなったら怖いなあ、あまり考えたくないなあ、という気持ちが、『羅生門』という作品を面白く下人と同じシチュエーションにはならないかもしれませんが、たとえば畜産なんかもそうですね。人間のエゴで人間が生きるためにこうした目を向けたくない『羅生門』は『今昔物語集』から題材を取って創られました。(「巻二十九第十八 羅城門登上層見死人盗人語(羅生門の上層に登りて死人を見る盗人のこと)」並びに「巻三十一第三十一 大刀帯陣売魚嫗語(帯刀の陣に魚を売る嫗のこと)」)ですが、元の作品と『羅生門』の違いは一部を例に挙げるとこんな感じです。もし時間に余裕があれば、それぞれの作品の相違点から『羅生門』を読んでみると、時間がない方は、『羅生門』の以上、『羅生門』のあらすじと考察と感想でした。面白い小説が知りたい方はこちら!続きを見る続きを見る続きを見る近代日本文学をもっと知りたい方はこちら!続きを見る続きを見る小助(こすけ)読書ブロガーの小助です。年間500冊ほど本を読みます。でも読書は量じゃなくて、どれだけ内容を自分のものに出来るかが大事。僕はほとんどできていません。あらら。Copyright© あらら本店 , 2020 All Rights Reserved.
下人の行方は、誰も知らない。 (『羅生門』より引用) という一文で、話は終わります。 下人の結末が分からないまま話が終わってしまうというのも、ホラーのようなゾッとする効果を演出し、読者に印象的な結末を見せるのです。 〇<下人の行方は誰も知らない> (大正7年) (疑問・否定的?) ↓↑ ↓↑ ↓↑ ※(参考…初出→大正4年) 「下人は、既に、雨を冒して、 京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。
また、『羅生門』の死体の女性の生きていたころの所業は『売魚』で書かれています。『売魚』は最初から男を悪人として登場させていましたが、『羅生門』は悪人になるか迷いながら物語が進み悪人へと落ちていくのです。ここで重要になってくるのは『羅生門』では男は一度正義に目覚めたにもかかわらず、悪人になったことです。皆さんも一度は似たような経験したことはあるのではないでしょうか?皆がやっているから自分もやっていいと少し悪事を働いたこと……。ここでの男の心境の変化はまさにそれだったのではないでしょうか。さて、それでは小説の題材となった羅生門、もとい、羅城門はどこにあるのでしょうか?残念ながら、羅城門は現存していません。ですが、跡地は残っており、京都市南区の東寺の近く、唐橋花園公園の中に「羅城門遺址」と刻まれた石碑が立てられています。 キーワード・タグ 滑り台やシーソーのすぐ横に、柵で囲われており、日常のなかに急に遺跡があるということで、少し違和感を感じるかもしれません。気になった方はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。このことについては本人から明かされていないので理由は分かっていません。しかし、小説に登場する下人と老婆という「生者」たちの「生活」が描かれてるため、「羅城門」ではなく「羅生門」に文字を変えたのではないかという考察もできます。 さらに「羅」という字を大辞泉で調べてみると、「網の目のように並べ連ねる。並ぶ」と書かれています。京都の街が碁盤のようにできているというのもありますが、小説では人々の「悪」の連鎖的つながりにも関わってくる文字とも考えられるのではないでしょうか。冒頭の二文目にとあり、その後にと唐突に作者が登場してきます。このような文章の構図にした理由は何なのでしょうか?
平安時代、災いが多発している京都の羅生門に下人が一人、雨が止むのを待っていました。 下人が老婆から着物を奪って夜の闇の中に逃げた後、という一文で、話は終わります。下人の結末が分からないまま話が終わってしまうというのも、ホラーのようなゾッとする効果を演出し、読者に印象的な結末を見せるのです。 このようなシンプルながら骨太な文章表現、物語の構図が発表から100年以上たった今でも読まれ続けているゆえんなのではないでしょうか。
男が羅城門に上って老婆に出会い、着物を奪い去って逃げるという大まかな物語の流れは同じです。『羅生門』と違う点は、男がもとから盗みのために上京してきたことや、老婆が髪を抜いていた死体が元は老婆の主人だった人物といった設定などがあります。 この当時京都は地震や火事、飢饉など災いが続き、そんな状況なので人々は金を稼ぐために仏像や仏具を砕いて金銀の箔を売るなど洛中はとても荒れていました。また引き取り手のいない死人を羅生門に捨てていくという習慣が出来たため、鴉が死人の肉を喰いにきたりと羅生門は非常に気味の悪い場所でした。そんな羅生門で雨宿りをしている
作者の主観によって京都の衰微した状態や下人の状況などが説明されているこの文章。客観的に語られる物語の合間に、作者による細かな説明が入ることや作者による主観的内容が加えられる事により、その後再び客観的文章に戻った時に下人に対する理解が二重に深められるためだと思われます。 ちょっとしたところにも、文豪ならではの技巧的な表現がみられますね。『羅生門』は人の性悪説的な要素を示している作品ではないでしょうか。ここでは、そのテーマを示す作品の要素をご紹介していきます。物語は雨の降る夕暮れから始まって真っ暗な夜で終わり、天候などからも暗さ・陰鬱さを感じさせる展開です。そして文中では下人が右の頬にできた大きなニキビを気にしているという登場しています。このニキビも、「モヤモヤとしたもの、煩わしいもの、膿」を具現化したような象徴のようです。この3人に共通するのは何かというと、自分が生きるために悪事を働いたということです。つまりここでは一貫して悪が存在しており、上記でも紹介した「羅生」を表現しているのです。 下人の「ある勇気」というのはある種の爽快感、決断をともなう悪という存在。陰鬱だった序盤を吹き飛ばすかのような鮮やかな結末ですが、それはもちろん正義などではなく、悪。読者になりふり構わない生き方を見せることで、悪と正義の存在意義を問う構成にしている結末のように感じられます。ストーリーのなかでも、印象に残る言葉として、主人公が短く発したという言葉があります。この言葉は上で書いた「ある勇気」を持ったことが表現されている重要な部分。シンプルな言葉ながら、下人が盗人になる勇気を出したという大きな転換点が表されています。