今回は ワトソンは しかし、彼は天才的な名探偵の単なるお手伝いではありません。実はホームズに匹敵するような存在です。ワトソンがいなければホームズもいなかった。そう断言してもおかしくないような人物だといえます。 ホームズとワトソン、2世紀を超えてもなお世界中の人々を魅了し続ける2人の関係について、私なりに解説してゆきます。 目次 ホームズとワトソンの関係について探る前に、まず原作について触れておきましょう。 コナン・ドイルによる探偵小説、『シャーロック・ホームズ・シリーズ』が出版されたのは大昔です。19世紀末から20世紀をまたぎ40年間に渡ってイギリスで刊行されました。 以降、100年以上に渡ってドイルの原作を基にした無数の舞台やTVドラマや映画がほとんど途切れることなく製作されてきました。 それによって21世紀の今でもシャーロック・ホームズという名は世界中に知れ渡っているというワケです。 シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトソン。この名探偵と助手の関係は、基本的に天才と凡人と言えます。昨今の日本でもいわゆるバディ(相棒)ものが流行っていますが、その最も典型的な形の1つとも言えるでしょう。 年はホームズの方が1つか2つ下で、ロンドンの一角でルームシェアをすることから2人の関係は始まります。 ホームズは探偵業を気ままに営む一方、ワトソンは医学博士号も持つ由緒正しき医師。しかし、探偵業の主導権は完全にホームズにあります。 ホームズは犯罪科学の幅広い知識を元に、天才的なセンスと鋭い観察力、また這いつくばってでも事件を解決しようとする情熱によって、数々の難事件を解決してゆきます。 一方のワトソンはその生真面目さを買われ、 ある舞台ゼリフの中で、ホームズの残した最も有名な言葉があります。 このElementary(エレメンタリー)というのは英国では初等教育を指します。つまり日本語で言えば「小学生レベルだよ」という感じになります。ちなみに2012年からアメリカCBSで放映されているTVドラマ『エレメンタリー、ホームズ&ワトソンin NY』も、このセリフから来たものです。 このエレメンタリーの一言は、ホームズの底知れぬナルシズムを感じさせるばかりか、彼のワトソンへの接し方をも明示しています。探偵業において、ホームズは学校の先生でワトソンは生徒のようなもの。つまりは しかし、ここがおもしろいのですが、本業である探偵の仕事から離れれば、ホームズとワトソンの関係は一変します。 ホームズは一筋縄ではいかない男です。探偵業では極めて理知的かつ精力的に働きますが、私生活では相当の遊び人になり変わります。 女遊びこそしないものの、ヴァイオリンを弾いたり、ひんぱんにタバコを吸ったり、気まぐれにピストルを撃ったり、はてはドラッグにまで手を出します。そのため薬物に関する知識はハンパではありません。 生真面目なワトソンはやはり、そんなホームズの自堕落さを許さず、たびたび注意を与えます。つまり、ワトソンはホームズにとって母親的な存在と言えます。探偵業の師弟関係は、私生活において ワトソンが「ホームズの伝記作家を務めている」という点も、この母子関係の一つとして捉えられます。 原作『シャーロック・ホームズ・シリーズ』は、基本的には「名探偵ホームズの活躍を助手のワトソンが伝記として書き記す」という体裁を持っています。小説世界が実際にあるかのように見せかける、いわゆるメタ小説といえます。そのために「ホームズが実在するのでは」という噂がこの原作にずっとついて回っています。 ワトソンが伝記作家を務めるのは、「名声に興味のないホームズに代わって、彼の功績を後世に残したいから」という理由です。 その元には、母性愛ともいえる何かが感じられます。つまり、子どもの活躍を世に自慢したい母親のような切なる思いが垣間見えるのです。 一方で、ホームズの活躍を書き記すワトソンの姿は、歴史的な偉人には常に偉大な黒子がいるということを物語ります。どんな偉人も、それを語り継ぐ人々、またはそれを書き記す著述家なくしては存在しえません。 その意味で、シャーロック・ホームズという偉人は、ワトソンなくして存在しなかったと言えます。もちろんすべては架空の世界であり、実際に書き記したのはワトソンではなく著者のコナン・ドイルになるのですが。 ホームズとワトソンはここまで解説してきたように、ほぼ真逆の関係にあります。 しかし心理的に深く探れば、そこには類似性も見えてきます。 大抵、うまくゆく2人の人間関係とは積極的な ホームズとワトソンのように円滑なバディ関係は、相手が自分の欠如した面を最初から備えていることを基にしています。自然と互いが互いを補い合えるために、うまく調和するというワケです。 その段階を過ぎると、彼らは積極的に自分の欠如を相手に強く求めるようになります。ホームズとワトソンの場合だと、ホームズがワトソンに生真面目さを求め、ワトソンがホームズに閃きを求めるようになるということです。 そして、それは時に最終段階に達します。 2人の人格がスイッチする(入れ替わる)ようになるのです。自分がなれないために相手に求めていた人格が、自らに戻ってくるようなことが起こります。まるで壁に投げたボールが自分に跳ね返ってくるようなことが起こるのです。それは 例をあげましょう。ホームズは一度、ワトソンに代わって自らの事件を伝記にしようとします。ワトソンがあまりに読者サービスにすぎる書き方をするため、もっと自己流の文体で書いてみようと思ったからです。しかし、出来上がった原稿はワトソンが書くような生ぬるいものになります。 一方で、ワトソンはホームズの才能にほれこんでいながら、時に推理に挑戦しようとします。自らの推理力を披露して、ホームズを一回でもギャフンと言わせたいと思っています。特に『バスカヴィル家の犬』の中などでは、あの勝ち気なホームズを大いに感心させることに成功しています。 このように、ホームズとワトソンには人格をスイッチする時があります。おそらく、ここは著者のドイルも意識的に書いたのではないのかも知れません。 しかし、私にはホームズとワトソンがこうも長く世界中の人々に愛されている理由の根源が、ここにあるように思われるのです。 他にこの2人とよく似た関係として、ビートルズのジョンとポールがいます。ホームズとワトソン同様、イギリス人の2人は天才と凡人の典型的なバディ関係にあります。もちろん彼らの方は実在するのですが。 ちなみにジョンはシャーロック・ホームズの大ファンで、ワトソンが書かなかった伝記としてホームズのパロディ作品を自ら書いているほどです。 一般的にジョンは創造的なリリックを得意とし、ポールは商業的なメロディを得意としています。しかしプロデューサーのジョージ・マーティンによれば、その逆であったことも多々見受けられたのだそうです。 ホームズとワトソン、ジョンとポール。もしかすれば彼らは互いの欠如を補い合う上に、時には人格ごとスイッチすることで、1つの完全な人間になろうとしていたのではないでしょうか。 そして、そういう完全な円を描くバディ関係だからこそ、多くの人がそこに限りのない愛着を覚えるのではないか。私にはそんなふうに思えます。 以上、 ワトソンは もちろんこれは私の解釈です。 ぜひ『シャーロック・ホームズ』の世界に深く浸ってみてください。きっとあなたの解釈が見つかるはずです。シェアする シャーロック・ホームズシリーズは、今日で言うところの「読切連載」という形式で雑誌に掲載されました。 このため、毎回のように新しい登場人物が現れますので、ホームズとワトソンを除けば、定番の登場人物は それほど多くありません。 彼の活躍する一連の作品は大ヒットして、生年や出身地は明確な記述がなく、はっきりしていない。 シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes) は、19世紀後半に活躍したイギリスの小説家・アーサー・コナン・ドイルの創作した、シャーロック・ホームズシリーズの主人公である、架空の探偵。. 人気海外ドラマ「エレメンタリーホームズ&ワトソン in NY」が、終了することが正式に発表されました。打ち切りの情報、シャーロックホームズ役ジョニー氏のコメントを紹介しています。シーズン6のあらすじについてはエレメンタリーシーズン6全話あら ホームズ映画は映画そのものとほぼ同じ歴史を持つとも言える。最初期の無声映画時代には、ドイルの許可も得ないホームズ映画が相当数創られたと考えられている。 彼の活躍する一連の作品は大ヒットして、推理小説の分野に一つの頂点を築いた。 大学時代に友人の父親にまつわる事件(「ワトソンと共にベーカー街の下宿で共同生活を始めた頃から名声が高まり、海外からも事件解決の依頼が寄せられるようになった。モリアーティ一味の残党から逃れるために姿をくらましてからの行動ははっきりしない(失踪から3年後、モリアーティの腹心の部下である天才的な観察眼と推理力を持つ、世界でたった一人の「顧問探偵」(consulting detective) である。容姿は『性格は極めて冷静沈着。行動力に富み、いざ現場に行けば地面を這ってでも事件の一端を逃すまいと血気盛んになる活動家。反対に兄の生年月日や家族など私的な事柄については、本編中にはっきりした記述はない。「家族については、兄のマイクロフト以外はほとんど言及がない。本人は、先祖は地方の地主で、祖母がフランスの画家出身大学についても本編中にはっきりした記述はない。「グロリア・スコット号事件」ではトレヴァーをカレッジで唯一の友人と記述し、「ホームズはワトソンが書く自分の物語に関してはその書き方を特に批判している(だが、後にワトソンに「そこまで言うなら自分でやるように」と怒られて、自分で書く羽目になった「人物評においては辛辣であり、後にその発言を覆しているものの先輩格であるホームズは女性嫌いとしても知られており、基本的に女性を信用していないようである(「どんなに立派な女性でも100%は信用できない」と言ってワトソンの機嫌を損ねたことがある)。ただし、女性の勘については一目置いており、また、女性には紳士的に接する。ワトソンがメアリー・モースタンと結婚した際にも「お祝いは言わないよ」と言っている。もっとも、メアリーに悪い感情を持っていたわけではないようで結婚後、開業医になったワトソンを事件の捜査において協力を求める際にもメアリー(あるいはそれ以外のワトソンの妻)を気遣うような発言もしている(「彼の多才な能力はそのまま犯罪に使うこともできるため、ホームズ自身、自分が犯罪者になれば大変なことになっていたであろうという旨の発言をし、また、犯罪紛いの行動を取った際には再三にわたって作者は「シャーロック・ホームズ」と正式に名付ける前に「シェリングフォード」(Sherringford)ないしは「シェリンフォード」(Sherrinford)という仮称を設定しており、後世のパスティーシュ作品にその設定が引用される事がある第1作『緋色の研究』の序盤で、ワトソンはホームズに以下の評価を下している。