選手名をクリックすると詳細情報が表示されます。※選手は随時追加アップしていきます。 © 2008-2016 Japan Association of Athletics Federations. 東京五輪2020開催まで2020年の東京オリンピックに向けて、陸上競技ではケンブリッジ飛鳥選手や福島千里選手がプロ転向を発表するなど、選手たちの準備も進んできています。そこで、今回は2020年の東京オリンピックで日本代表候補となるであろう選手たちをご紹介します。2020年の東京オリンピック日本代表候補となる男子選手を、距離別に紹介していきます。100m日本歴代2位の記録を持っているのが桐生選手です。前回のリオ大会では、4×100mリレーで銀メダルを獲得しています。2020年の東京オリンピックでは、日本人初となる9秒台に期待がかかります。ジャマイカ人の父と日本人の母をもつ大阪育ちのケンブリッジ飛鳥選手。前回のリオ大会では、4×100m リレーのアンカーとして、ウサイン・ボルト選手に迫るような走りを見せ、日本チームを銀メダルに導きました。2016年12月14日には、プロ転向を発表しました。飯塚選手も、前回のリオ大会の4×100mリレーのメンバーで、銀メダルを獲得している選手です。200mの自己ベストは日本歴代2位の好記録で、2016年の日本選手権、静岡国際陸上の200mで優勝するなど、名実ともに200m日本トップの選手です。ガーナ人の父と日本人の母をもつサニブラウン選手。2015年日本陸連は、2020年の東京オリンピックで活躍が期待される選手として、サニブラウン選手を「ダイヤモンドアスリート」に認定しています。2016年の静岡国際陸上の200mでは飯塚選手に次ぐ2位に入っています。日本の400mの選手といえば、金丸選手です。2005年~2015年の日本選手権400mを11連覇していました。2016年の日本選手権では怪我の影響で実力を発揮できず予選敗退となってしまいましたが、日本トップの選手であることは間違いありません。ウォルシュ・ジュリアン選手は、ケンブリッジ飛鳥選手同様、ジャマイカ人の父と日本人の母をもつ選手です。前回のリオ大会でも代表に選ばれています。2016年の日本選手権、セイコーゴールデングランプリ川崎では、見事に優勝を飾っています。前回のリオ大会でも代表に選ばれている川元選手。2014年に日本人初の1分45秒台をマークし、日本記録保持者となりました。現在、日本選手権800mを4連覇中です。日本歴代2位の記録を持っているのが、横田選手です。日本選手権では2年連続川元選手に次ぐ2位、2016年の静岡国際陸上では優勝しています。大迫選手は、10000mの日本学生記録保持者、3000m・5000mの日本記録保持者です。前回のリオ大会で、5000m・10000mの代表に選ばれています。2016年の日本選手権で、5000m・10000mともに優勝しています。村山選手は、10000mの日本記録保持者です。前回のリオ大会で、5000m・10000mの代表に選ばれています。2016年の日本選手権10000mでは、大迫選手に次ぐ2位でした。双子の兄の村山謙太選手はマラソンで活躍しており、兄弟そろっての2020年の東京オリンピック出場が期待できそうです。続いて、2020年の東京オリンピック代表候補となる女子選手を、距離別に紹介していきます。福島選手は、100m・200mの日本記録を持つ日本女子最速選手です。日本選手権では6年連続の100m・200m二冠を達成しています。前回のリオ大会では、史上初となる女子100m3大会連続日本代表入りを果たしました。2017年1月20日に女子短距離界初となるプロ転向を発表しています。氏名:齋藤愛美(さいとう あみ)齋藤選手は高校2年生でありながら、2016年の日本選手権で100m・200mともに2位に入った、短距離女子の次世代エースです。2016年高校総体では、100m・200m・4×100mリレーの三冠を達成し、強さを見せつけました。青山選手は、400m日本歴代3位の記録を持っています。2016年の日本選手権400mで優勝、2016年の日本学生陸上競技対校選手権では200m・400m・4×100mリレー・4×400mリレーの四冠を達成しています。氏名:福田 翔子(ふくだ しょうこ)福田選手は、2016年の日本選手権を高校生でありながら優勝した実力者です。自己ベストは、高校日本歴代2位、ジュニア日本歴代4位となる好記録です。鈴木選手は、前回のリオ大会に5000mの選手として代表入りしています。2016年の日本選手権では5000mで2位、10000mで優勝している実力者です。関根選手は、前回のリオ大会に10000mの選手として代表入りしています。2016年の日本選手権では、5000mで3位、10000mで2位という成績を収めています。ここまで、多くの選手を紹介してきましたが、ここには載せきらなかった実力者がまだまだいます。日本トップ選手の実力は拮抗していますので、ライバルとして切磋琢磨し、2020年の東京オリンピックに向けて成長していってほしいですね。以上、「東京オリンピック2020 陸上(短距離・中距離)の日本代表選手候補(男女別)」でした。 サニブラウン・ハキーム選手 短距離選手の理想的な体型. 2020年の東京オリンピック日本代表候補となる男子選手を、距離別に紹介していきます。<100m>【桐生 祥秀(きりゅう よしひで)】生年月日:1995年12月15日出身地:滋賀県身長:175cm体重:68kg所属:東洋大学自己ベスト 100m:10.01(2013.4 織田幹雄記念国際大会)100m日本歴代2位の記録を持っているのが桐生選手です。前回のリオ大会では、4×100mリレーで銀メダルを獲得しています。2020年の東京オリンピックでは、日本人初となる9秒台に期待がかかります。【ケンブリッジ 飛鳥 … 公益財団法人日本陸上競技連盟(Japan Association of Athletics Federations)は、日本にお … 青年海外協力隊としてパラグアイで陸上競技の活動をする大村です。陸上選手の生態を知ってもらいたいと思ったので、短距離選手のあるあるを紹介します!スポーツをやっていない人もぜひやってみてください!ちなみにぼくは「凡人」レベルでした(笑) このカテゴリには 187 ページが含まれており、そのうち以下の 187 ページを表示しています。 東京五輪2020開催までCopyright© Tokyo五輪2020応援情報サイト , 2020 AllRights Reserved. ここ数年、男子の短距離の活躍が目立つ日本の陸上競技。東京オリンピックでも男子短距離の活躍が非常に期待されます。 陸上注目選手 トラック・フィールド . 2017年9月9日、ついにその瞬間が訪れました。日本学生対校選手権陸上男子100メートル決勝。桐生祥秀(21、東洋大4年)選手が日本人初となる9秒台を叩き出しました。公式記録は追い風1.8メートルの9秒98。1998年に伊藤浩司選手が記録した10秒00を19年ぶりに更新しました。現在、男子100mの世界記録ベスト5に、3人のジャマイカの選手が名前を連ねています。かつてアメリカのお家芸だった短距離種目ですが、今はジャマイカがその覇権を奪っています。2012年のロンドンオリンピックでも、ボルトが史上初めて100m、200mの2種目を連覇し、400mリレーではジャマイカチームが世界記録を樹立して優勝しています。ジャマイカの猛威はとどまる気配がありません。ジャマイカは中央アメリカのカリブ海に浮かぶ、人口270万人ほどの小さな国です。16世紀から18世紀にかけ、労働力として西アフリカから沢山連れてこられた黒人の子孫が、今のジャマイカの人たちです。現在のジャマイカ人の9割以上がその頃の黒人の血を引いています。ジャマイカの主要産業は、観光業、農業、鉱業等です。ここ最近は、観光業とエネルギー分野に力を入れ、経済が安定しています。ジャマイカの陸上界における台頭と経済の安定は、時期を同じくしています。先祖から受け継いだ遺伝子に、科学的な観点から面白い事実が判明しています。近年、ジャマイカとイギリスの大学が共同で遺伝子の問題に取り組みました。その結果、ジャマイカのトップクラスの短距離選手の約8割が、筋肉中に“αアクチニン3”というタンパク質を遺伝的に多く持っていることが分かりました。このαアクチニン3とは、瞬発力を生み出す筋肉(速筋)が力を爆発させるために収縮する際に支える役目を担っています。つまり、“速筋が生まれつきものすごく強い”のです。元々黒人は、他の人種に比べ速筋が多いのですが、ジャマイカの人々はそれに加え、速筋が強いということです。このことは、“人類最速の遺伝子”と言っても過言ではないと思います。世界の短距離選手が大型化する一方、日本人短距離選手は小型化、世界の潮流から取り残されようとしています。下のデータを見て下さい。 ジャマイカ 身長177.0cm 体重74.0kg ジャマイカ 身長179.7cm 体重80.7kgジャマイカは身長+2.7cm、体重+6.7kg、対して日本は、身長+0.7cm、体重—3.5kgです。世界のトップスプリンターは、約20年で明らかに大型化している中、日本は世界のトレンドと逆に小型化しています。身体が大きい=足が速いとは言い切れません。しかし、100m走の身体能力として大事なことは、まず最大出力を上げること、そして、後半での失速を少なくすることです。短距離選手は瞬発力と筋持久力の他に、強い出力に耐えうる身体を作ることも大切です。そのため、ジャマイカ選手をはじめ、世界のトップレベルの選手はみんなすごく身体が大きくなっています。最速の遺伝子と素晴らしい体格を持つジャマイカの選手の才能を伸ばしたのは、アメリカの大学やクラブでした。ニューヨークからジャマイカの首都キングストンまでは、飛行機でわずか4時間です。多くのアメリカのスカウトがジャマイカを訪れ、才能ある選手をスカウトしていきました。現在は、アメリカで優れたトレーニング手法を学んだ選手が自国に戻り、クラブを設立して選手育成に努めています。かつて短距離最速を誇っていたアメリカは、当然トレーニングも最新の理論に基づいた手法が採られていました。最速の遺伝子と最新のトレーニング手法が出会った結果、ジャマイカの最速伝説が始まることになるわけです。ジャマイカの人気スポーツは、クリケットやサッカーでしたが、ボルトらの活躍もあって、現在は陸上スプリントも人気スポーツになっています。国としても、才能を後押しするため、義務教育から英才教育を施し、助成金を出すなど育成環境も素晴らしいものがあります。ジャマイカの強さの秘密に迫りましたが、それでも禁止薬物に手を出しドーピング違反となり、出場停止、メダルはく奪になってしまう選手は後を絶ちません。2008年北京オリンピック陸上男子4×100mリレーで第1走を務めたネスタ・カーター選手が、興奮作用のある禁止薬物(メチルヘキサンアミン)に陽性反応があり、国際オリンピック委員会(IOC)から失格処分を受けました。ウサイン・ボルト選手によって、いまだに破られていない9秒58の100m世界新記録が出たドイツのベルリンで開催された世界陸上。そのジャマイカ国内の予選でドーピング陽性反応が出て、ベルリン世界陸上に出場ができませんでした。日本人のスプリンターには、筋肉をつけて身体を大きくすると、スピードが落ちてしまうという、明らかな誤解をしている選手が多いと思います。決してそうではないことを、ジャマイカの選手が証明しています。スプリンターにとって、強い筋肉を作るために大切なのはウェイトトレーニングです。ベンチプレスやスクワット、デットリフト等のオーソドックスなメニューに加えて、腹筋や背筋、股関節といった身体の中心に近い部分の筋肉を鍛えることが大事です。そして、トレーニング後にプロテインをきちんと摂り、肉や野菜もバランスよく食べるといった具合に、栄養管理も大切です。アメリカやジャマイカの選手は、強い筋肉を作るトレーニングと身体を大きくする栄養管理を徹底しています。ジャマイカの選手は、下腹部奥のインナーマッスル腸腰筋や骨盤から体幹部分を徹底的に鍛えています。そうすることで、全身の協調性、連動性、つながり、しなやかさが素晴らしいものになっています。日本人選手は短距離選手としての身体作りがまだ不足しています。100mほどシンプルに人間の身体能力を表す競技はありません。日本人の良さは、効率的なフォームや身体の使い方等を追及する繊細さです。その努力こそが、これまでの日本陸上界を支えきました。そこに正しい筋力トレーニングと栄養摂取でパワーが加われば、9秒台の壁を突破する日本人も増えていき、夢のオリンピック男子100m決勝進出ファイナリストの栄光を掴むことになるでしょう。陸上界で次の9秒台達成を期待される選手、さらにオリンピック初の陸上男子100m・200m夢の決勝進出ファイナリストを狙える日本人選手を紹介します。この選手たちがいいライバル関係にあり、切磋琢磨している状況がこれからの新記録更新に不可欠と言えます。ジャマイカ生まれで2歳のときに大阪に移住。ジャマイカ人の父と日本人の母を持つ。本格的に陸上を始めたのは高校になってから。高校時代は陸上名門の東京高校で4×100mリレーでインターハイ優勝、日本選手権リレーでは当時の日本高校記録(40秒02)を樹立。ちなみにこの記事の編集者も東京高校陸上部に所属していたのでケンブリッジ飛鳥は後輩にあたります。東京高校の監督コーチは日体大・日大出身のため、監督コーチの薦めもあり日本大学に進学したのだろうと思われます。大学時代にはジャマイカで武者修行を行い、体格差と筋肉の強さ、大きさの違いを痛感しています。その後、ウェイトトレーニングに取り組み体脂肪を4.4%減らし、筋肉量は2.5kg増やして大きな瞬発力を手に入れています。桐生祥秀選手に比べると遅咲きの選手で、世間に注目されはじめたのが社会人になってから。2016年5月21日に行われた東日本陸上競技選手権で10秒10を記録し、リオオリンピック参加標準記録を突破し、オリンピック初出場を果たしたのです。他の日本人選手と違い大きなストライド走法が特徴です。ストライドが大きく、パワフルな走りはジャマイカの血を受け継いでいるからなんでしょう。2019年に10秒の壁を突破し、9秒99を記録。福岡県出身でガーナ人の父と日本人の母を持つ。ちなみに母親は元陸上選手でインターハイ出場までした経歴の持ち主だ。小学4年から陸上競技を始め、高校時代は東京にある城西大付属上西中学・高等学校に進学。高校時代の監督は元400mで日本歴代2位の記録を持ち、シドニーオリンピックにも出場した山村貴彦さんである。「追い込まない」という特徴の指導方針がサニブラウン選手にフィットしたのでしょう。高校1年時から国体で10秒45の好記録で優勝し、一気に頭角を現しました。2017年からなんと日本国内ではなく、フロリダ大学に進学し、活動拠点を海外に移しました。ケンブリッジ飛鳥選手同様、188cmの長身を生かしたスライド走法で100m9秒台突破はもちろん、日本人初の200m19秒台突破も時間の問題ではないでしょうか。そして、そのときは東京オリンピック100mと200mで日本人初の両種目ファイナリスト進出を果たすでしょう。年齢的にも国際大会での実績からしても日本人で最も東京オリンピックで活躍が期待される選手です。滋賀県出身で、中学時代に陸上を始め、一躍トップ選手に。中学時代から現在までトップクラスで活躍し続ける選手は陸上界では非常に珍しいことです。京都洛南高校に進学し、高校3年生の4月に出場した、織田記念国際大会で当時の日本歴代2位の10秒01を記録してから世間にも注目され一躍有名選手になりました。高校卒業後は陸上の名門、東京にある東洋大学に進学。東洋大陸上部コーチである土江寛裕さんの指導を受けながら、16年からは、元アテネオリンピック男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治さんからトレーニング指導を受けたことも大きい。コーチの土江寛裕さんは2000年初めに活躍した短距離選手。04年の日本選手権でA標準を突破しアテネオリンピック出場を決めたレース直後の嬉し涙は、個人的には記憶に残る名場面でした。この記事の編集者もこの土江寛裕さんから直接指導を仰いだことがありますが、非常に論理的で、歩く動作から指導されたことが印象的です。指導に対して非常に努力家で、若くして東洋大の准教授まで上り詰めているのも納得です。筆者としては何よりも土江寛裕コーチの熱心な指導が大会での追い風などの好条件という運を引き寄せ、日本人初の9秒台に大きく影響したのではと思っています。9秒台が出た瞬間の観客席での土江コーチのあふれる涙の様子はとても印象深いです。コーチとともに努力を重ねた大学4年間の集大成として、大学日本一を決める日本学生陸上競技対抗選手権大会(通称、日本インカレ)で日本人初となる9秒台、9秒98(+1.8m)を記録したということも感動的でした。大学卒業後は日本生命に就職。桐生選手はケンブリッジ選手やサニブラウン選手と違い、1秒間に5歩を刻む高速ピッチ走法が特徴であり、9秒台を出した試合では最高速度だった秒速11.67m(時速41.76km)を65m地点で記録しました。これまでは55m地点が最高速度到達地点だったので、10m伸ばし、いわゆる海外勢と同じ「後半型の走り」が9秒台という大記録を打ち立てました。大阪府東大阪市の出身。中学時代から陸上を始め、中学時代の最高成績は大阪府大会でなんと5位という成績でした。全国大会はおろか地区大会にも出場できない選手だったんですね。今回上げている選手のなかでは最も遅咲きで、全国区になったのは、大阪桐蔭高校時代のインターハイ6位(10秒78)という成績です。ただ、大阪府大会ではなんと5位。ギリギリで近畿大会出場を決め、近畿大会でも5位という危なげない成績でインターハイ出場を決めています。そのため、近畿大会まではどこの大学からも目を付けられておらず、唯一声をかけてくれたのが、小さい頃からの夢でもあった関西のスプリント強豪校の関西学院大学だったのです。もちろん、インターハイ6位という好成績を残した後は関東の強豪である法政・中央・日大からもスカウトがあったようですが、関西学院大学に進学を決めたという話があります。高校卒業後は、関西学院大学法学部に進学し、急成長。2019年就職予定でまだ就職先は未定ですが、関西出身なので、大阪ガスや大塚製薬広島県出身で、小学生時代に地元の英雄でもある為末大選手が所属していたクラブチームで本格的に陸上を始める。小学生時代から全国大会で8位に入賞するなどすでに全国区の選手で、継続して成績を残すのが珍しい陸上競技界では数少ない幼少時代からのトップ選手です。修道高校時代にはインターハイではコンディションが整わず3位だったが、その後の国体・日本ジュニア1位と順調に成績を上げている。他の選手がスポーツ推薦で大学に進学するなか、山縣亮太選手はAO入試で慶應大学総合政策学部に入学している点から文武両道で目的を持って慶應に進学し、陸上競技を続けたことがわかります。歩幅を小さく取るピッチ型の桐生祥秀選手に山縣亮太選手、多田修平選手。歩幅を大きく取る走り方のストライド型のケンブリッジ飛鳥選手にサニブラウン・ハキーム選手。日本の短距離界を牽引するライめバル同士です。北海道出身で中学までは野球選手で、高校から本格的に陸上競技を始めた選手です。学生時代は同級生の桐生選手の影に隠れ、あまり目立つことはなく苦労人ともいえるでしょう。しかし、2019年のセイコーゴールデングランプリで日本歴代7位の10秒04を記録。4×100mRの3走にも選ばれ一躍有名人になりました。最後に、今後の世界記録の可能性です。運動制御に詳しい早稲田大学の鈴木秀次教授は、人体の筋肉をタイミングよく動かすことができれば、9秒3~2は出るのではと言っています。しかし、アメリカやイギリスの研究の予想では9秒48が限界となっています。ボルト選手自身も世界記録は9秒4で止まると言っていました。そこまで行けるのは、このおれ様だと動物的嗅覚だけで断言しています。人類最速のボルトが言っていることを無視するわけにはいきませんね。