世界史に登場する人物のひとりに「モンテーニュ」が挙げられます。彼は何を成した人物なのでしょう。モンテーニュの主著『エセー抄』をはじめ、彼の思想や名言について紹介します。目次モンテーニュとはどういった人物なのでしょう。まずはその生涯から見ていきます。「ミシェル・ド・モンテーニュ」(1533年~1592年)は、16世紀のルネサンス期を代表する哲学者のひとりです。フランスのボルドーに近い「モンテーニュ城」に生まれました。哲学者として以外にも、モラリスト(道徳哲学者や文学者の意)や懐疑論者、人文主義者(ユマニスト、ヒューマニストとも)とも呼ばれます。裕福な家に生まれ育ったモンテーニュは、幼い頃から家庭教師にラテン語を教わるなど当時としては珍しい教育の下に育てられています。そして、成長したモンテーニュは、フランスの法官になり、高等法院に勤務することとなりました。1570年、37歳の時に法官を辞任し、主著『エセー』の執筆を始める一方で、一方で、カトリックのシャルル9世、アンリ3世などから侍従を任されたり、プロテスタントのアンリ4世の侍従にも任命された経験を持ちます。また、1581年より2期にわたり、ボルドーの市長も務めました。モンテーニュが活躍した16世紀のフランスで欠かせないのがカトリックとプロテスタントによる「宗教戦争」です。当時フランスでは、「シャトーブリアン勅令」(1551年)によってプロテスタントが全面的に禁止され、それにより、プロテスタントとカトリックが争う「ユグノー戦争」(1562年~1598年)と呼ばれる宗教戦争が続いていました。元来、モンテーニュはカトリックの立場ですが、戦争で人々が血を流すことを悲しみ、その人脈を生かし、融和に努めたとされています。中でも、ユグノー派(プロテスタント)であるのちのアンリ4世とカトリックの国王との調停を図ったという逸話は有名です。また、ボルドーの市長としてもカトリックとプロテスタントの仲介を行ったとされています。「モンテーニュ」は自らの考えを随想録として『エセー抄』にまとめました。彼の思想の特徴と『エセー抄』について紹介します。『エセー抄(エセー)』は、1580年に刊行されたモンテーニュの随想録です。1570年頃から執筆を開始したとされていて、1580年の初版は2巻本で、1588年に全3巻を刊行しますが、その後も、生涯にわたって、加筆・改訂を続けたとされています。モンテーニュの『エセー抄(エセー)』は、自らの経験や古典からの引用をもとにした随筆による構成が特徴で、「人間」を率直に記すことを目的とした一冊です。また、「エセー(Essais)」とは、フランス語で「試み」や「企て」という意味の言葉ですが、このモンテーニュの『エセー抄(エセー)』によって、「特定の話題に関する主観的な短い文章」を「エッセイ」と呼ぶようになったとされています。多くの引用をもとに記された『エセー抄』は、聖書からの引用が少ないのも特徴のひとつです。プラトンやアリストテレスなどの古典・古代文献からの引用が多く用いられています。のちの哲学者「デカルト」や「パスカル」にもモンテーニュの『エセー抄』は大きな影響を与えたとされていますが、それ故に「無神論」の書物として、禁書となった時代もあります。1676年のことでした。『エセー』に記されたモンテーニュの名言のひとつに「クセジュ?(Que sais-je?)」があります。これは、「私は何を知っているだろうか」という意味のフランス語で、モンテーニュ自身が常に自問したとされる言葉です。先述した宗教戦争で、カトリックとプロテスタントの両者に人脈を持っていたモンテーニュは、間に立つ身として、人間の愚かさや醜さを痛感していました。それゆえ、自分が正しいと思い込み、相手を認めようとしないことこそが悪習と感じていたようです。「クセジュ?(私が何を知っているのだろうか?)」は、現実を冷静に観察し、互いを認め合うモラリストとしてのモンテーニュを表した一言です。モンテーニュの哲学者としての考えは、「懐疑主義」と「寛容の精神」で成り立っています。「クセジュ?」に代表されるように、自らを正しいと思い込むのではなく、常に物事を疑い、独断的な思考を避けながら真理を追い求めたモンテーニュは、懐疑主義・懐疑論者と言われます。この思想は、哲学者としてだけでなく、人としても謙虚な姿勢につながっています。モンテーニュは、宗教戦争に代表される数々の戦争や残虐的な行為は、人々の偏見や度量の狭さが成したものだと批判します。独断的な思考に陥らないためにも、寛容の精神こそが必要であると説いたのです。モンテーニュはフランスを代表する哲学者のひとりで、16世紀のルネサンス期に活躍した人物です。ヨーロッパ史では欠かせない「宗教戦争(ユグノー戦争)」においては、カトリックとプロテスタントの間に立った経験から、独断に陥らず、互いを認める寛容な精神こそが人間には必要だと説きました。人の愚かさを知りつくしたモンテーニュだからこその主張だったのではないでしょうか。©Copyright モンテーニュ全集 7 モンテーニュ随想録 7 ミシェル・エイクム・ド・モンテーニュ 、 関根秀雄 | 1983/5/1 単行本
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne [miʃɛl ekɛm də mɔ̃tɛɲ], 1533年2月28日 - 1592年9月13日)は、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。モラリスト、懐疑論者 … ミシェル・ド・モンテーニュはマラーノの血を母親から引いている。スピノザと同じである(第842夜参照)。モンテーニュが世界市民性をもっていると言われてきたのは、この血と無関係ではない。
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フランスの哲学者、モラリスト、懐疑論者、人文主義者。 代表作の『エセー(随想録)』はモラリスト文学の基礎を築いたとも評され、後のデカルトやパスカルにも多大な影響を与えた。 国: フランス 生: 1533年2月28日 モンテーニュとはどういった人物なのでしょう。まずはその生涯から見ていきます。 モンテーニュはフランスの哲学者 「ミシェル・ド・モンテーニュ」(1533年~1592年)は、16世紀のルネサンス期を代表する哲学者のひとりです。 モンテーニュとはどういった人物なのでしょう。まずはその生涯から見ていきます。 モンテーニュはフランスの哲学者 「ミシェル・ド・モンテーニュ」(1533年~1592年)は、16世紀のルネサンス期を代表する哲学者のひとりです。
16世紀の偉大な哲学者、モンテーニュの住居であったシャトー秘蔵の熟成ワイン。レンガ色を帯びたルビー色のワインは、熟成されたドライフルーツの香り、スパイシーでソフトなタンニンとまろやかな風 …
『随想録』(ずいそうろく)もしくは『エセー』(仏: Les Essais)は、フランスのモラリスト、ミシェル・ド・モンテーニュが107の随筆を集めて1580年に刊行した書物である。モンテーニュは随筆(エッセイ、エセー)という、特定の話題に関する主観的な短い文章の形式を発明したのであり、この書物はそのエセーを収めている。人間のあらゆる営為を断続的な文章で省察することによりモンテーニュは人間そのものを率直に記述しようとし、モラリスト文学の伝統を開いた。フランス語のessaiは「試 … 名言集.comは古いものから新しいものまで世界中から名言を集めています。© 名言集.com / www.meigensyu.com since 2006 / Ver2.0.0 2008-12-17 Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。 無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。現時点ではこのメニューの読み込みに問題があります。 主人公は、ミシェル・ド・モンテーニュ。フランス古典文学『エセー』の著者。ヨーロッパ中世、カトリックとプロテスタントとの宗教戦争の時代に生きたひと。 1 生涯 ミシェルの祖父は、もともとは廻船 …
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。 無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。現時点ではこのメニューの読み込みに問題があります。 ミシェル・ド・モンテーニュはマラーノの血を母親から引いている。スピノザと同じである(第842夜参照)。モンテーニュが世界市民性をもっていると言われてきたのは、この血と無関係ではない。