星稜 小松大谷 2014

 14年夏の甲子園で2勝した星稜は、再び甲子園常連校として歩み始めた。そして昨秋、明徳義塾と再び相まみえることになる。=つづく

お使いのブラウザがJavaScriptがオフになっている場合、正しく閲覧できない場合があります。毎日新聞  まぶち・しろう 愛媛・三瓶高、拓大では遊撃手。1986年に社会人野球・阿部企業の監督として日本選手権準優勝。87年から明徳義塾高のコーチを務め、90年に監督就任。甲子園は2002年夏に優勝。春夏通算51勝(32敗)は歴代4位タイ。U18(18歳以下)アジア選手権大会に出場する高校日本代表監督も務める。同校スポーツ局長。  星稜は98年夏の甲子園で2勝した後、次の勝利は14年夏までかかった。99年に母校にコーチで戻った林監督も、勝てない厳しい時代を経験した。 高校野球が人気を集めるのは、時に信じられないドラマが起こるからだ。2014年7月27日、全国高校野球選手権大会の石川大会決勝「星稜高校vs小松大谷高校」で起きた奇跡について、星稜高校野球…  1992年夏の甲子園で明徳義塾が星稜の4番・松井秀喜に取った5打席連続敬遠策。高校野球史に刻まれた戦略などについて、明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(64)と星稜(石川)の当時2年生遊撃手として出場した林和成監督(44)が語る、ウェブ会議システム「Zoom(ズーム)」での高校野球監督対談。第5回は、昨夏の甲子園で準優勝するなど近年活躍著しい星稜を作り上げた林監督の転機を振り返る。【構成・安田光高】

All rights reserved.

 林監督 縛り付けるのがあまり好きではないので、ある程度は言うが(昔と比べて)生徒に任せられることは任せるようになった。  1962年に創立し、野球部も同年創部。山下智茂監督が率いて72年夏に甲子園初出場。79年夏の3回戦、箕島(和歌山)との延長十八回の激闘は「高校野球史上最高」の試合とも呼ばれる。95年夏には2年生エース・山本省吾(元ソフトバンク)を擁して準優勝。2019年夏も準優勝に輝いた。春は14回出場で9勝13敗、夏は20回出場で24勝20敗。

 林監督 毎年スローガンを選手たちに決めさせ、(その年の)「必笑(ひっしょう)」も生徒たちが考えた。もう試合の途中で白旗だったので、「お前たちの考えたスローガンだから最後ぐらい楽しんでやれ」という感じでやった。ああいうことは絶対起きないが、あの試合から生徒たちに教えられた。

 主将主導のチーム作りをした直後、石川大会決勝での大逆転が起きた。林監督は0―7となった四回の時点で負けを覚悟したという。  はやし・かずなり 金沢市出身。星稜高では主に遊撃手として活躍し、甲子園に春1回、夏2回出場。日大では準硬式野球部に所属。星稜高で1998年からコーチ、2004年から部長をそれぞれ務め、11年4月に監督に就任した。春夏通算11勝7敗。2019年夏の甲子園では奥川恭伸(ヤクルト)を擁して準優勝した。社会科教諭。 以下4位に石川大会決勝の星稜9-8小松大谷(35票) 、5位に選手権大会1回戦の山形中央9-8小松(22票) という結果になりました。 高校野球10大ニュース (2014年) 1: 歴史的な激闘は延長50回!中京3-0崇徳(軟式選手権大会) 96: 2: No reproduction or republication without written permission.掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。  きっかけは2014年。夏の石川大会決勝の小松大谷戦で0―8から九回に9点を奪って逆転サヨナラ勝ちした。大逆転劇は海外でも報じられた。  林監督 平成10(1998)年の後は、10年間で春夏1回ずつしか(甲子園に)出られなかった。悲壮感が漂い、勝たなきゃ勝たなきゃとの思いがチームに強かった。そういうところを監督になって、しばらくしてから変えた。 【星稜9-8小松大谷】第96回全国高校野球選手権石川大会決勝のスコアボード=金沢市の石川県立野球場で2014年7月27日、竹田迅岐撮影  九回、8点を追う星稜は先頭の村中健哉が四球を選ぶと、今村春輝の三塁打で1点を返して反撃開始。無死三塁から村上千馬や梁瀬彪慶の適時打などで3点を加点し、岩下大輝が特大の2点本塁打を放って2点差。さらに1点を加え、2死一、二塁から村上の適時打で同点。続く佐竹海音の左越え適時打でサヨナラ勝ちした。  林監督は今季が就任10年目。就任当初と比べると、その指導方針は変化してきた。 スポーツ2016.11.08 07:00  週刊ポスト星稜高校野球部監督・林和成氏が証言 高校野球が人気を集めるのは、時に信じられないドラマが起こるからだ。2014年7月27日、全国高校野球選手権大会の石川大会決勝「星稜高校vs小松大谷高校」で起きた奇跡について、星稜高校野球部監督の林和成氏が振り返る。 * * * 雰囲気が変わったのは、9回表に再登板させたエース・岩下(大輝)が3者三振に切ってから。負けても悔いが残らないようにとチームの中心である岩下に任せた結果、その裏の攻撃につながった。 9回裏はまずレギュラーを外れていた主将が代打で四球、続けて代打に送った3年生がタイムリー三塁打。“苦労人”の2人で1点を取り、空気がまた少し変わる。 タイムリーが続き、5番の佐竹(海音)は三振振り逃げ。この試合、小松大谷の唯一の守りのミスでした。さらにタイムリー、そして2ランホームランが出て6-8です。球場のボルテージが一気に上がったのがわかりましたね。 引っくり返せる──そんなムードの中、8番が「待て」のサインを無視してファーストフライです。正直、怒鳴ってやろうと思いましたよ。でも、ベンチで選手たちは笑顔で迎え入れている。それを見た瞬間、最後まで彼らに任せようと決めた。その後の1死一、三塁の場面も、スクイズのサインを出すのをやめました。結果、連打でひっくり返してしまった。「こいつら凄いな」と思ったのは、2アウトになってからも、自分たちを信じて初球から打っていったことです。私は逆転を信じながらも、同点になった時点で延長に備えて部長と守備の相談をしていた。だから実はサヨナラの一打を見ていない(苦笑)。 培ってきた技術と精神力が、あの1イニングに凝縮されていた。あの試合は奇跡ではなく、選手たちの実力だったと思っています。※週刊ポスト2016年11月18日号ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 6091713号)です。© Shogakukan Inc. 2020 All rights reserved.